世の常なるほどの異 末摘花08章21
原文 読み 意味
世の常なるほどの 異なることなさならば 思ひ捨てても止みぬべきを さだかに見たまひて後は なかなかあはれにいみじくて まめやかなるさまに 常に訪れたまふ
06127/難易度:☆☆☆
よ/の/つね/なる/ほど/の ことなる/こと/なさ/なら/ば おもひ/すて/て/も/やみ/ぬ/べき/を さだか/に/み/たまひ/て/のち/は なかなか/あはれ/に/いみじく/て まめやか/なる/さま/に つね/に/おとづれ/たまふ
世間にざらにある程度の、魅力のなさであるならば、思いを捨ててでも縁を断ってしまえるが、はっきりと様子をご覧になった後では、かえって愛情こまやかに、誠実にみえるなさり方で、いつもお見舞いなさる。
世の常なるほどの 異なることなさならば 思ひ捨てても止みぬべきを さだかに見たまひて後は なかなかあはれにいみじくて まめやかなるさまに 常に訪れたまふ
大構造と係り受け
古語探訪
世の常なるほどの 06127
「ことなさ」の程度を限定する。
異なることなさ 06127
「ことなる」は、特別な。「ことなさ」は、重要な点がないこと。全体で、ひどいわけではないが、目立って取るべき点がない程度のありふれた女性の場合ならとの意味。諸注はこれを顔立ちに限定するが、対応のぱっとしない点をいうのだろう。
思ひ捨てても 06127
「も」がポイント。ぱっとしない相手なら当然、思い棄てるのがふつうである。しかし、相手は宮様であり、こちらはまめ男の光だから、あえてそうしないと思い棄てることはできないのである。その心理的抵抗が「も」にあらわれている。さて、その女の顔だが、見たらぱっとしないどころかひどいものだった。それがために、まめ男の光は、他の男では世話をしないだろうという思いから、これを棄てるに忍びず、かえって心動かされ、まめに世話をするのである。