正身は御心のうちに 末摘花06章07
原文 読み 意味
正身は 御心のうちに恥づかしう思ひたまひて 今朝の御文の暮れぬれど なかなか 咎とも思ひわきたまはざりけり
06078/難易度:☆☆☆
さうじみ/は みこころ/の/うち/に/はづかしう/おもひ/たまひ/て けさ/の/おほむ-ふみ/の/くれ/ぬれ/ど なかなか とが/と/も/おもひ/わき/たまは/ざり/けり
当の本人は、心から居たたまれないとお思いになって、今朝届くべきお手紙が暮れになったのに、かえってそのことを難ずべきこととも判断なされないのだった。
正身は 御心のうちに恥づかしう思ひたまひて 今朝の御文の暮れぬれど なかなか 咎とも思ひわきたまはざりけり
大構造と係り受け
古語探訪
御心のうちに 06078
心中の意味だが、「心」は大事な部分の意味でもあるので、心からと訳してみた。「御心のうちに」が単に心の内での意味であれば、この表現は不要になってしまう。
今朝の御文の暮れぬれど 06078
後朝の歌の届くのが夕方になったこと。男の不実が如実に表れている。
なかなか咎とも思ひわきたまはざりけり 06078
このような男の不実をかえって咎ともお考えにならなかったのはなぜか、考えてみなければならない。それは、昨夜の出来事があまりに恥ずかしく、手紙が遅いなどということも目に入らないくらいであったからである。しかし、この時代の貴族社会は恋愛を重視し、それを円滑にすすめるためのルールを文化的にも高度に発達させてきたことを考えれば、それから逸れたやり方を非難することなく、ただただ恥ずかしがっていたのでは、貴族文化は成り立たなくなる。わけても、末摘花は貴族の中の貴族である王家の血筋を受けているのだから。だが、見方はもうひとつある。いくら貴族社会が高度に恋愛を発達させたところで、男女の交わりという一点に関しては、女が積極的に受け入れない限り、男が女を動物的に襲うという形をとるのである。この点に眼を向けるなら、貴族社会の恋愛ルールは性の実情を離れた虚飾である。この両方の視点から、末摘花の様子を考える必要があろう。もちろん、末摘花には、個人的コンプレックスがあり、それのみに焦点をあてるなら、これは末摘花のみに特殊な反応ということになるが、わたしはそうは取らない。末摘花のコンプレックスにより、性交と恋愛ルールとのギャップが如実に表面化したのだと取りたい。