口々に責められて紫 末摘花06章11
原文 読み 意味
口々に責められて 紫の紙の 年経にければ灰おくれ古めいたるに 手はさすがに文字強う 中さだの筋にて 上下等しく書いたまへり
06082/難易度:☆☆☆
くちぐち/に/せめら/れ/て むらさき/の/かみ/の とし/へ/に/けれ/ば/はひ/おくれ/ふるめい/たる/に て/は/さすがに/もじ/つよう なかさだ/の/すぢ/にて かみ/しも/ひとしく/かい/たまへ/り
女房たちから口々に責め立てられため、紫の紙の年数を経ったために灰色っぽく古ぼけてしまったものに、筆跡はさすが骨法にかない、やや古めかしい流儀で、天地の余白をそろえてお書きになった。
口々に責められて 紫の紙の 年経にければ灰おくれ古めいたるに 手はさすがに文字強う 中さだの筋にて 上下等しく書いたまへり
大構造と係り受け
古語探訪
文字強う中さだの筋にて 06082
この物語が設定されている年代(物語を味わう上でこういう読み方に意味はないことは述べたが、ある語解釈を限定してゆく時には利用できる場合もある)はおよそ西暦九五〇年頃であり、かな書きが発達するのは、貫之・道風の活躍頃、すなわち、西暦九百年前後からである。いわゆる三蹟(道風・佐理・行成)はこの物語の時代と重なってしまう。末摘花を時代遅れの女性という設定にずれてしまう。それ以前の三筆(嵯峨天皇・空海・逸勢)の時代(西暦八百年後)は、中国書の直接的影響下にある。中国書と和書の違いは、骨法が深さにあり、前者は掘るよう書き、後者は撫でるように書く。「文字強う」は中国書風の骨法にならっているということである。問題は「中さだ」をいつに捉えるかであるが、道真による遣唐使廃止が八九〇年代であり、それから国風文化が一気に花開くわけだが、遣唐使を送っても意味がないとの判断ができるには、すでに中国の影響を離れた独自の文化を創り上げていたはずであるから、八五十年前後頃から徐々に国風の波が生まれて来たのだろうと判断してよいであろう。すなわち、プレ道真時代をもって、中国文化から国風への過度期とし、「文字強う中さだの筋」を、中国書風の影響を色濃く残す、古めかしさの残る書と考えることができると思う。
上下等しく 06082
ちらし書きをせず、料紙の上下の余白を一定にとり、上と下で文字を揃えた書き方である。これもやはり、国風ではなく、中国書の様式である。