ほどよりはあまえて 末摘花05章17

2021-05-13

原文 読み 意味

ほどよりはあまえて と聞きたまへど めづらしきが なかなか口ふたがるわざかな
 言はぬをも言ふにまさると知りながらおしこめたるは苦しかりけり
何やかやと はかなきことなれど をかしきさまにも まめやかにものたまへど 何のかひなし

06065/難易度:☆☆☆

ほど/より/は/あまエ/て/と/きき/たまへ/ど めづらしき/が なかなか/くち/ふたがる/わざ/かな
 いは/ぬ/を/も/いふ/に/まさる/と/しり/ながら/おしこめ/たる/は/くるしかり/けり
なにやかや/と はかなき/こと/なれ/ど をかしき/さま/に/も まめやか/に/も/のたまへ/ど なに/の/かひなし

君は身分よりは馴れ馴れしい感じにお聞きになるけれど、あまりの珍しさに、かえって口がふさがる結果を招く返答となったものだ。
《言わないでも言うにまさる場合があることは知っておりますが そんな風に無理に押し黙っておいでなのはとても苦しいことです》
何くれと、実を欠く恋愛ではあるけれど、女君が興味をもつようにも誠実であるかのようにもおっしゃるけれど、何の効果もない。

ほどよりはあまえて と聞きたまへど めづらしきが なかなか口ふたがるわざかな
 言はぬをも言ふにまさると知りながらおしこめたるは苦しかりけり
何やかやと はかなきことなれど をかしきさまにも まめやかにものたまへど 何のかひなし

大構造と係り受け

古語探訪

あまえて 06065

馴れ馴れしい調子で。

めづらしきがなかなか口ふたがるわざかな 06065

侍従の返歌は、口を開けた珍しさが、かえって光の口をふさがらせる結果となった行為であったとの意味。「わざ」は侍従の返歌という行為であり、この語が使用されるのは、その及ぼす影響がマイナス的に働く場合は多い。

おしこめたる 06065

口に出さないで、思いを胸に押し込めること。「答へまうき」をこのように言い換えた。古今六帖に「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」との歌がある。歌意は「心には、地面に現れない下水が湧きかえるようにふつふつとした思いがあるものであって、口にださない方が口に出すより、思いがまさっているのです」との意味。

何やかやと 06065

「のたまへど」にかかる。

はかなきことなれど 06065

草紙地。光の末摘花に対する思いに実がないことを批判して言う。「はかなきこと」とは誠実さに欠けるの意味で、特に不実な恋愛について用いることが多いことを記憶しておくとよい。帚木の帖で頻出した。ここもそれで、とりとめのないことという漠然とした意味ではない。源氏物語で使用されている語句はひとつひとつ非常にしっかりとした意味を担っている、つまり物語を推し進める上で一語一語が重要な働きをしているのだ。どうでもいい無駄口は一切ない、すなわち、なくても意味が変わらないような語はないのである。「何やかやとはかなきことなれど」を「あれこれととりとめないことながら」と訳すことは可能だが、この場の会話がとりとめなかったとの説明をここで行う必要が話者にあるのだろうか、物語に何か意味が加わるのだろうか。とてもそうは思えない。何が言いたいか。このように無神経な(つまり、つまづきさえしないのだから改まりようのない)訳や注が大半をしめる現状では、源氏物語は読むに値しない古典でしかない。注釈者の古典に対する造詣は深いかもしれないが、こと文章を読み味わうという感性や読解力においては、非常にお粗末にうつる。一般読者の批判力から見ても、ずいぶん情けない実情が現れているのではないかと危ぶまれてならない。なぜなら、源氏物語のこの分量を短期的に注釈するのは、ずいぶん無理がある、行き届かない点が出て来るからである。わたしの注釈もふくめてだが、読者は厳しい目で注釈書にあたるべきである。紫式部の表現能力と同じレベルを望むことは無理があろう、しかしそれが事実であるなら、式部と注釈者の読解レベルには雲泥の差があることになる、そこを見据えながら注釈書を利用していただきたい。

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