男はいと尽きせぬ御 末摘花05章11

2021-05-11

原文 読み 意味

男は いと尽きせぬ御さまを うち忍び用意したまへる御けはひ いみじうなまめきて 見知らむ人にこそ見せめ 栄えあるまじきわたりを あな いとほし と 命婦は思へど ただおほどかにものしたまふをぞ うしろやすう さし過ぎたることは見えたてまつりたまはじ と思ひける

06059/難易度:☆☆☆

をとこ/は いと/つき/せ/ぬ/おほむ-さま/を うち-しのび/ようい/し/たまへ/る/おほむ-けはひ いみじう/なまめき/て みしら/む/ひと/に/こそ/みせ/め はエ/ある/まじき/わたり/を あな いとほし/と みやうぶ/は/おもへ/ど ただ/おほかた/に/ものし/たまふ/を/ぞ うしろやすう さし-すぎ/たる/こと/は/みエ/たてまつり/たまは/じ と/おもひ/ける

男君は、尽きないお気持ちを、目立たぬように取りはからっていらっしゃるご様子がとても麗しくて、風趣を理解する女性にこそ娶せたいものだが、こんなぱっとしないあたりでは、なんとも申し訳ないと、命婦は思う一方で、ひとえにおっとししていらっしゃるお方に対して、安心して、行き過ぎたこと目をお見せになることはあるまいと思っていたのに、

男は いと尽きせぬ御さまを うち忍び用意したまへる御けはひ いみじうなまめきて 見知らむ人にこそ見せめ 栄えあるまじきわたりを あな いとほし と 命婦は思へど ただおほどかにものしたまふをぞ うしろやすう さし過ぎたることは見えたてまつりたまはじ と思ひける

大構造と係り受け

古語探訪

いと尽きせぬ御さまを 06059

限りなく優美な源氏の姿と解釈されているが、人の様子を尽きるとか尽きないとか表現するのはおかしい上に(筆舌に尽くせないならわかる)、「を」という助詞を介して「用意したまへる」につながらない。この場合、光の様子を表現する語は「御けはひ」である。「うち忍び用意し」は、目立たぬように気を遣うの意味であり、そのように心がけている様子が、「いみじうなまめきて」、すなわち、とても優美なのである。「さま」は、そもそも方向性である。尽きることのない方向とは、末摘花へ向かう気持ち、恋心をさす。これを表立たずに抑えようとしているところに優美さをみたのである。

見知らむ人 06059

男女の恋愛の場における心の用い方のできる人。最終的目的が性交であれ、それだけ取り出すならば、文化は必要でない、動物にかわらないのである。そこに至る過程をいかに文化的に高めることができるかが、平安貴族の美意識であるわけだ。

いとほし 06059

第三者からみて気の毒だという意味ではなく、関係者として責任を感じて申し訳ないと思う気持ちである。残念ながら末摘花には、光の心用意を理解するだけの素養がないので、申し訳なく思うのである。「思へど」のかかる場所、これが今回の最大の難関である。「ぞ……思ひける」で連体終止と考えられているが、意味的にそこで文を切ることはできない。「思へど……思ひける」では、意味をなさないのである。「いとほし」と思っているのは、今の気持ちであり、行き過ぎたことはしないだろうと思ったのは過去から今への継続した時間の中においてでる。

ただおおどかに……と思ひける 06059

挿入部。

おほどかにものしたまふを 06059

「見えたてまつりたまはじ」の対象であり、「おほどか」は女性のおとなしい性質を指す語であるから、姫君の様子。「見えたてまつりたまはじ」は従って、光が末摘花に対して無理強いをしないこと、末摘花が光にではない。

ける 06059

過去から現在への継続時間であり、詠嘆の過去にしても、これまでそうは思ってこなかったのに、という時間経緯がふくまれているのである。今、光に対して申し訳なく思っていることに対比されるのは、光が姫君に無理をしないと思ってきたことではなく、光のせいで姫君に物思いをさせることになるという今の不安である。

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