命婦はさらばさりぬ 末摘花04章06
原文 読み 意味
命婦は さらば さりぬべからむ折に 物越しに聞こえたまはむほど 御心につかずは さても止みねかし また さるべきにて 仮にもおはし通はむを とがめたまふべき人なし など あだめきたるはやり心はうち思ひて 父君にも かかる事なども言はざりけり
06048/難易度:☆☆☆
みやうぶ/は さらば さりぬべから/む/をり/に ものごし/に/きこエ/たまは/む/ほど みこころ/に/つか/ず/は さて/も/やみ/ね/かし また さるべき/にて かり/に/も/おはし/かよは/む/を とがめ/たまふ/べき/ひと/なし など あだめき/たる/はやりごころ/は/うち-おもひ/て ちちぎみ/に/も かかる/こと/など/も/いは/ざり/けり
命婦は、そうまでおっしゃるなら、うまく行きそうな折りに、物越しにお話申し上げになれるよう謀るとして、そのとき、御心にかなわなければ、そこまで進んでもそのまま済んでしまえばいいうし、また、そうなる縁があって仮初めにでもお通いになるとしても、これをお咎めになるような人もないしなどと、軽はずみでことにはやる性分では深くも思わず、父君に対してもこのようなはかりごともふくめいっさい話をしなかった。
命婦は さらば さりぬべからむ折に 物越しに聞こえたまはむほど 御心につかずは さても止みねかし また さるべきにて 仮にもおはし通はむを とがめたまふべき人なし など あだめきたるはやり心はうち思ひて 父君にも かかる事なども言はざりけり
大構造と係り受け
古語探訪
さりぬべからむ折 06048
「さありぬべくあらむ折り」がつづまった形。そういうことに向いた折りのこと。つまり、そうするのに具合のよい頃合いにの意味である。具体的には、物越しから光が末摘花に思いを述べようとする機会。
物越しに聞こえたまはむほど 06048
求愛行動であり、男が女のもとに通いはじめる場合、それが結婚が成立していなくても、女性から強く拒まれない限り、通い続けるのが原則である。
さても止みねかし 06048
物越しに求愛する段階に入りながらも、その後をつづけず、その時点でよしてしまえばいいという、ひどく身勝手な、当時の倫理観から大きく外れる考え方である。
さるべきにて 06048
そうなることになっていてということだが、前世から結ばれる縁があってとの意味で多様される。
仮にも 06048
ifの意味ではなく、本気ではなく、かりそめでもの意味。
とがめたまふべき人 06048
親などの保護者。
あだめきたる 06048
上のような倫理観から外れたことを指すが、光との関係をも示唆するように思う。
はやり心はうち思ひて 06048
「はやり心」は、ことを性急に運ぼうという気持ち。「は」は意味が確定しにくいが、はやり心ではの意味か、はやり心の持ち主(すなわち、命婦)はの意味と考えられる。「うち思ひ」の「うち」はちょっと、軽くなどの意味を添えるので、全体で、深慮なく、浅くしか考えずの意味となる。
父君にもかかる事なども言はざりけり 06048
恋の取次を父に打ち明けることなどありえぬことだから、ここでわざわざそれを言うのは、命婦の父である兵部大輔(末摘花の住む故常陸邸に住む権利を持ちながら、他所に女がいるので、そちらから時々ここに通っている)は、末摘花の保護者的関係にあるのではないかと想像されている。宣長は末摘花の兄に当たるのではないかと述べているが、「咎めたまふべき人なし」と明確に保護者を否定しているので、保護者的関係にあるとは認めがたい。事実、この後も、保護者としての役割を果たすことがない。異腹の兄と考えるむきもある。しかし、いずれにしろ、保護者としての実質的働きをしないのだから、その方面から「父君にもかかることなども言はざりけり」の真意を読み解くことは不可能である。では、話者はなぜわざわざここで、これを断っているのだろうか。保護者でない父に本来話すべき内的理由は何だろうか。考えられるのは、兵部大輔がこの家を管理しているという点である。家の管理者である父に黙って、他人を家に入れることを、耳に入れなかったのである。末摘花に男ができることを咎める保護者はないが、大輔が管理する家に他人が入り込むことは元来その許可なくして許されない行為である、ということなのだろう。末摘花と大輔との関係のみを取り上げるなら、異腹の兄である可能性もあろうが、単に金でその家を大輔が買っただけなのかもしれない。家の権利が娘の末摘花に行かずに、他人に渡っていることがそれを示唆しているように思えるのだが、どうであろう。