のたまひしもしるく 末摘花02章08
原文 読み 意味
のたまひしもしるく 十六夜の月をかしきほどにおはしたり
06012/難易度:☆☆☆
のたまひ/し/も/しるく いざよひのつき/をかしき/ほど/に/おはし/たり
仰せの甲斐あって、折しも十六夜の朧月の美しい時分に、君はお出でになった。
のたまひしもしるく 十六夜の月をかしきほどにおはしたり
大構造と係り受け
古語探訪
のたまひしもしるく 06012
仰せの通り(お越しになった)と解釈されているが、納得できない。「しるし」とは、元来はっきりわからないものが、ありありと現れていることに用いる言葉。自分で言って、その通りすぐに出かけてきたのでは、目に見えない部分がない。すなわち、「しるし」という表現を使う場所ではないのである。まして「のたまひしも」と「しも」で強調されているのだから、口で言ったことが、何か目に見えないことと結びつき、それが結果として表れていないのいけない。そこで、原文を読み直す。「のたまひもしるく、十六夜の月をかしき程におはしたり」とあり、その後は会話文になるので、文はどうしてもここで切れることになる。この中で考えるしかないのである。上で説明したように、「のたまひ」と「おはしたり」の間には、「しるし」で表現される見えない部分がない。従って、「おはしたり」以外にかけることになる。すると、「十六夜の月のをかしき程に」しか残らない。今から行くといった言葉に、自然が呼応したかのように、折しも十六夜の月のをかしき夜であったということ。より厳密に言えば、のたまった段階で、せれにふさわしい条件が、すでに現れていたというのが、「のたまひもしるく」の意味である。そして実際に、十六夜の月が美しいという形でそれが現れたのである。すなわち、十六夜の月が美しいという預言が、琴を聞きに行くと言った時点で預言されていた、あるいは、先取りされていたということ。行こうと言った段階で、予感していたように、月が美しかったというのである。「しるし」のこうした感覚を身につけてほしい。口で言ったと、来たという二者の間に、「しるし」が入ることはないことが、ご理解いただけたであろう。しかし、「しるし」の語感を体得すること以上に大切なことがある。それは、ここでなぜ「のたまひしもしるく」などと表現したのかを考えることである。光が行こうと口にした時には、宮中の藤壺にあり、十六夜の夜であることは知っていたろうが、それが美しい夜であったかどうかは、知らなかったのである。知らないながら、行こうと光が口にした、それが預言となり、月の美しさが演出されたのである。後にわかる通り、琴を聞くことに十六夜の夜はプラスに働かない。しかしながら、話者は、十六夜の月を「をかしき」という表現でプラス評価しているのである。それは、琴のためにならなくとも、恋の演出にはなるからである。以上をまとめると、恋の達人である光が、行こうと言った段階で、恋の演出にふさわしい月のうつくしさをあらかじめ予感してたかのごとく、月の美しい夜に光はやって来た、となる。「のたまひしもしるく」という表現において、発話と月のうつくしさ、恋の達人である光と恋の演出を、一気に結びつけてしまうのである。とても魅力的な表現である。