あやしき馬に狩衣姿 末摘花02章20

2021-05-11

原文 読み 意味

あやしき馬に 狩衣姿のないがしろにて来ければ え知りたまはぬに さすがに かう異方に入りたまひぬれば 心も得ず思ひけるほどに ものの音に聞きついて立てるに 帰りや出でたまふと 下待つなりけり

06024/難易度:☆☆☆

あやしき/むま/に かりぎぬ/すがた/の/ないがしろ/にて/き/けれ/ば え/しり/たまは/ぬ/に さすが/に かう/ことかた/に/いり/たまひ/ぬれ/ば こころ/も/え/ず/おもひ/ける/ほど/に もの/の/ね/に/きき/つい/て/たて/る/に かへり/や/いで/たまふ/と したまつ/なり/けり

いやしい馬に乗り、狩衣姿という飾らぬなりで来たので、君の知るとことにはならなかったが、さすがに君がこんな異様な場所に入って行かれたので、得心が行かず目指す場所はここなのだろうかと案じているうちに、琴の音に心引かれ立って聞き、まあ帰って来られるのだろうと、ひそかに待っていたのである。

あやしき馬に 狩衣姿のないがしろにて来ければ え知りたまはぬに さすがに かう異方に入りたまひぬれば 心も得ず思ひけるほどに ものの音に聞きついて立てるに 帰りや出でたまふと 下待つなりけり

大構造と係り受け

古語探訪

あやしき馬……下待つなりけり 06024

「心も得ず」が頭中将の心内語であり、この前後は頭中将の立場に話者は立つのである。「え知りたまはぬ」「かう異方に入りたまひぬれば」「帰りや出でたまふ」は主体敬語である尊敬語がつくことから、相手のyouである光の動作であり、それ以外の省略された主語は、頭中将と理解することになる。もっとも、光の立場に立つ時は、光から他者を見るのは前の通りだが、光の動作そのものには、主体敬語が現れるのである。見る視点としては光の位置となりながら、しかして光の動作にも敬語をつけるという、直説法と間接法が自在に使い分けられるところが日本語の特徴であるのだ。「かう異方に入りたまひぬれば、心も得ず思ひけるほどに」で、後をつけて来た頭中将は、こんな荒れ果てた家の娘と光ができていることが信じられなかったのである。尾行に気づかれまかれたろうかなど、いろいろと案じている箇所が「思ひけるほどに」の部分。しかし、琴の音が聞こえてきたので、ああやはりこの家が目指す場所だったのだと安堵したであろう。「帰りや出でたまふ」とは、もしかすると、ここで待っていてもだめかという思いがあったから、こういう語が出たのである。何気ない書きぶりのうちに、頭中将の心の揺れが述べられている、名文といっていい箇所である。「下待つ」は、心待ちにすること。すなわち、相手は知らないことながら、光の出て来るのを待っていたのである。

狩衣姿 06024

「狩衣姿」をしているのは「え知りたまはぬに」の対象であるから、頭中将である。『花鳥余情』の説くように、宮中では狩衣のような略服は許されないので、どこかで着替えたことになる。それは、光に尾行がばれないようにするためである。では、どの時点で着替えたのか。「あやしき馬に狩衣姿のないがしろに来ければ」とあるので、馬に乗りだした時点で狩衣姿であったと読むのが自然であり、道中のどこかで止まって着替えたとは読みにくい。そんなことをすれば光を見失うおそれがある。牛車なら車の中で着替えることも可能だろうが、馬上で着替えることは不可能である。では、宮中で着替えたのだろうか。しかし、光の尾行のために着替えるのだから、宮中の時点では、光がどこに行こうとしているか頭中将には知り得ないはずだ。にもかかわらず、先に着替えてしまうのはおかしい。さて困ったとなるが、次のように考えると『新全集』のいう不自然さはなくなる。光とともに内(内裏とも紫宸殿とも読める)から出た頭中将は、光がどこかへ立ち寄り着替えをするのを見かけたのである(その場所は、宮中内とも外とも読める)。頭中将はそれを目撃してしまったので、ははあ、これは女のもとにゆくんだなと判断し、自分も狩衣姿に身をやつして後を追ったのである。なお、光も「狩衣姿」であったかどうかは、ここには述べられていないので、判然としない。

Posted by 管理者