命婦かどある者にて 末摘花02章12

2021-05-11

原文 読み 意味

命婦 かどある者にて いたう耳ならさせたてまつらじ と思ひければ 曇りがちにはべるめり 客人の来むとはべりつる いとひ顔にもこそ いま心のどかにを 御格子参りなむ とて いたうもそそのかさで帰りたれば なかなかなるほどにても止みぬるかな もの聞き分くほどにもあらで ねたう とのたまふ けしき をかしと思したり

06016/難易度:☆☆☆

みやうぶ かど/ある/もの/にて いたう/みみ/ならさ/せ/たてまつら/じ と/おもひ/けれ/ば くもりがち/に/はべる/めり まらうと/の/こ/む/と/はべり/つる いとひがほ/に/も/こそ いま/こころのどか/に/を みかうし/まゐり/な/む とて いたう/も/そそのかさ/で/かへり/たれ/ば なかなか/なる/ほど/にて/も/やみ/ぬる/かな もの/ききわく/ほど/に/も/あら/で ねたう と/のたまふ/けしき をかし/と/おぼし/たり

命婦は機転の利く女で、あまり聞き慣れ申し上げないようにと思ったので、「曇りがちでございますようです。来客があるとのことでした、避けている風に見えるのも何ですから。また次回気持ちの急かない時に。御格子は下ろしましょう」と言って、強くも琴を勧めないで君のもとへ戻って来たので、「これからなのに、かえって聞かない方がましなくらいなうちに終わってしまったものだ。その人の心のうちを聞き分ける余裕もなくて。憎らしい」とおっしゃる。いい女であろうなと興味をお持ちになった。

命婦 かどある者にて いたう耳ならさせたてまつらじ と思ひければ 曇りがちにはべるめり 客人の来むとはべりつる いとひ顔にもこそ いま心のどかにを 御格子参りなむ とて いたうもそそのかさで帰りたれば なかなかなるほどにても止みぬるかな もの聞き分くほどにもあらで ねたう とのたまふ けしき をかしと思したり

大構造と係り受け

古語探訪

かど 06016

 才気。姫君の演奏がそれほどでもないので、光に気を持たせる程度でやめたいと思い、いろいろと機転を働かせる。

曇りがちにはべるめり 06016

曇りでは湿度が高く、琴がよく響かないし、おぼろ月も見えにくいことを意味し、命婦はそう告げることで、姫君に演奏をよしてはどうかと暗に伝えているのである。

客人の来む 06016

宮中での用事にかこつけ、退散の名目とした。

いとひ顔にもこそ 06016

命婦が戻っていないと、相手が避けたと思うのではと心配している。「もこそ」は心配を示す表現。

なかなかなるほど 06016

中途半端なためかえってはじめから聞かない方がよかったと後悔される程度の意味。

もの聞き分くほどにもあらで 06016

諸注は琴の腕前を聞き分けると考えるが、「なにばかり深き手ならね」とすでに光は腕前を見抜いている。ここは姫君の発言「聞き知る人こそあなれ」(鍾子期のように琴の演奏から奏者の気持ちを推し量る人がいるとのこと)を受け、まだ女君の心中を推し量るまでには至っていないとの意味である。琴を友とした暮らしでは本当は寂しく思っているのではとの思いが光にはあるのであろう。

ねたう 06016

命婦が、琴の演奏を途中で中断させたことに対して。

とのたまふ けしきをかしと思したり 06016

「とのたまふ気色をかしと思したり」と考え、そう発言する光を命婦は興味を持ったととるが、論外であろう。「思し」の敬語は命婦には使われない。さらに「気色」は、姫君の様子とする説、すなわち、琴の演奏から姫君の様子を身近に知りたくなったとする説であり、いま一方は、後者は、この夜の中で琴の演奏をするという趣向全体を指すのであると説く、琴の演奏から様子を知りたくなったのであれば、まだ見ぬ対象である姫君に対しては「気色をかし」でなく「けはひをかし」とあるべきだと考えるのである。語感をとるならこちらが正論に思える。しかし、「け近きほどの立ち聞きさせよ」につながるのは、相手の姫君に対して興味をもったからであって、この場の雰囲気であるなら、演奏を続けよでいいわけだ。では、どう考えるのがよいのか。「気色」の語感を今一度確認しておこう。「気色」は直接見るなどにより直に伝わってくる感覚であり、「けはひ」はよくわからぬ対象から間接的に伝わってくる感覚である。ここで、光が直に感じているものは、演奏以外にないのかが問題なのである。それは、すぐ前に注した「聞き知る」の対象、すなわち、琴の演奏を通して伝わる奏者の心である。光は「もの聞き分くほどにもあらで」と言っているが、何程かを伝え聞いたのである。それを伝える言葉として話者は、間接的な「けはひ」でなく直接的な「けしき」と表現したのであろうというのがわたしの考えである。今は語感から攻めたが、文脈をたどるとわかりやすいかと思う。この文章の中心主題は何か。それは、琴の演奏にあるのではなく、琴を弾いている女への光の関心にあるのである。そこで光は「け近きほどの立ち聞きせさせよ」と命じたのである。

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