かの空蝉をものの折 末摘花01章04
原文 読み 意味
かの空蝉を ものの折々には ねたう思し出づ 荻の葉も さりぬべき風のたよりある時は おどろかしたまふ折もあるべし 火影の乱れたりしさまは またさやうにても見まほしく思す おほかた 名残なきもの忘れをぞ えしたまはざりける
06004/難易度:☆☆☆
かの/うつせみ/を もの/の/をりをり/に/は ねたう/おぼし/いづ をぎのは/も さりぬべき/かぜ/の/たより/ある/とき/は おどろかし/たまふ/をり/も/ある/べし ほかげ/の/みだれ/たり/し/さま/は また/さやう/にて/も/み/まほしく/おぼす おほかた なごり/なき/もの-わすれ/を/ぞ え/し/たまは/ざり/ける
例の空蝉のことを、ことがある折には、小癪な女だと思い出しになる。軒端荻をも、好機となりえる風の便りがある時には、気をお引きになる折りもおありであろう。火影のもとで見たしどけなかった様子は、再びそのような状態で見たいとお思いになる。どのような相手であっても、名残なく忘れてしまわれることは、どうしてもおできでなかった。
かの空蝉を ものの折々には ねたう思し出づ 荻の葉も さりぬべき風のたよりある時は おどろかしたまふ折もあるべし 火影の乱れたりしさまは またさやうにても見まほしく思す おほかた 名残なきもの忘れをぞ えしたまはざりける
大構造と係り受け
古語探訪
ねたう 06004
小癪だと思うこと。光は、この女を思い通りにできなかったため、ことあるごとに思い出されて、癪に思うのである。前段の「つれなう心強き」女の例である。
荻の葉 06004
軒端荻。
さりぬべき風のたよりある時は 06004
ちょっとつかみにくい。しかるべき次いでと訳されるが、それでは、「さりぬべき折り」だけか、「風の便りある時」だけでいい。また、公的な便りとの注があるが、それでは「風の」の意味がなくなる。「さりぬべき」はなどの訳を決めるのは、何となく口調で訳すのではなく、もとの表現に置き直して考えるべきなのだ。「さありぬべき」であり、きっとそうあるべきはずのの意味である。この場合「そうある」は、風の便りがあるのではなく、光が「おどろかしたまふ」こと。ちょっかいを出す機会が持てそうな、何かの便りがある場合にはの意味である。
おどろかしたまふ 06004
気を引く、注意をひく、ちょっかいを出す。
火影の乱れたりしさま 06004
「いま一人は 東向きにて 残るところなく見ゆ 白き羅の単衣襲 二藍の小袿だつもの ないがしろに着なして 紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに ばうぞくなるもてなしなり」『空蝉』を指す。
「左衛門の乳母」と「大弐のさしつぎに思いたる」が同格で、「むすめ」が主語、「内裏にさぶらふ」がその述語。さらに、「さぶらふ」が連体形であることから、これ全体が文の主語となり、その述語は「むすめなりけり」である。要するに大輔命婦との名で宮中に出仕している女房は、父は皇族の血を引く兵部大輔であり、母は光が大弐の乳母の次に大切にしている左衛門の乳母であるということ。