06末摘花09

2020-05-24

末摘花 原文 06-153/06-175

153御車出づべき門は まだ開けざりければ 鍵の預かり尋ね出でたれば 翁のいといみじきぞ出で来たる 154娘にや 孫にや はしたなる大きさの女の 衣は雪にあひて煤けまどひ 寒しと思へるけしき 深うて あやしきものに火をただほのかに入れて袖ぐくみに持たり 155翁 門をえ開けやらねば 寄りてひき助くる いとかたくななり 156御供の人 寄りてぞ開けつる
 157降りにける頭の雪を見る人も劣らず濡らす朝の袖かな
幼き者は形蔽れず とうち誦じたまひても 鼻の色に出でて いと寒しと見えつる御面影 ふと思ひ出でられて ほほ笑まれたまふ 158頭中将に これを見せたらむ時 いかなることをよそへ言はむ 常にうかがひ来れば 今見つけられなむと 術なう思す 159世の常なるほどの 異なることなさならば 思ひ捨てても止みぬべきを さだかに見たまひて後は なかなかあはれにいみじくて まめやかなるさまに 常に訪れたまふ 160黒貂の皮ならぬ 絹 綾 綿など 老い人どもの着るべきもののたぐひ かの翁のためまで 上下思しやりてたてまつりたまふ 161かやうのまめやかごとも恥づかしげならぬを 心やすく さる方の後見にて育まむ と思ほしとりて さまことに さならぬうちとけわざもしたまひけり 162かの空蝉の うちとけたりし宵の側目には いと悪ろかりし容貌ざまなれど もてなしに隠されて 口惜しうはあらざりきかし 劣るべきほどの人なりやは げに品にもよらぬわざなりけり 心ばせのなだらかに ねたげなりしを 負けて止みにしかなと ものの折ごとには思し出づ
163年も暮れぬ 164内裏の宿直所におはしますに 大輔の命婦参れり 165御梳櫛などには 懸想だつ筋なく 心やすきものの さすがにのたまひたはぶれなどして 使ひならしたまへれば 召しなき時も 聞こゆべき事ある折は 参う上りけり 166あやしきことのはべるを 聞こえさせざらむもひがひがしう 思ひたまへわづらひてと ほほ笑みて聞こえやらぬを 何ざまのことぞ 我にはつつむことあらじと なむ思ふ とのたまへば いかがは みづからの愁へは かしこくとも まづこそは これは いと聞こえさせにくくなむと いたう言籠めたれば 例の 艶なる と憎みたまふ 167かの宮よりはべる御文 とて 取り出でたり 168まして これは取り隠すべきことかはとて 取りたまふも 胸つぶる 169陸奥紙の厚肥えたるに 匂ひばかりは深うしめたまへり 170いとよう書きおほせたり 歌も
  唐衣君が心のつらければ袂はかくぞそぼちつつのみ
心得ずうちかたぶきたまへるに 包みに 衣筥の重りかに古代なるうち置きて おし出でたり 171これを いかでかは かたはらいたく思ひたまへざらむ されど 朔日の御よそひとて わざとはべるめるを はしたなうはえ返しはべらず ひとり引き籠めはべらむも 人の御心違ひはべるべければ 御覧ぜさせてこそは と聞こゆれば 引き籠められなむは からかりなまし 袖まきほさむ人もなき身にいとうれしき心ざしにこそはとのたまひて ことにもの言はれたまはず 172さても あさましの口つきや これこそは手づからの御ことの限りなめれ 侍従こそとり直すべかめれ また 筆のしりとる博士ぞなかべき と 言ふかひなく思す 173心を尽くして詠み出でたまひつらむほどを思すに いともかしこき方とは これをも言ふべかりけりと ほほ笑みて見たまふを 命婦 面赤みて見たてまつる 174今様色の えゆるすまじく艶なう古めきたる直衣の 裏表ひとしうこまやかなる いとなほなほしう つまづまぞ見えたる 175あさまし と思すに この文をひろげながら 端に手習ひすさびたまふを 側目に見れば
  なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖に触れけむ
色濃き花と見しかどもなど 書きけがしたまふ

末摘花 原文かな 06-153/06-175

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

みくるまいづべきかどは まだあけざりければ かぎのあづかりたづねいでたれば おきなのいといみじきぞいできたる むすめにや むまごにや はしたなるおほきさのをむなの きぬはゆきにあひてすすけまどひ さむしとおもへるけしき ふかうて あやしきものにひをただほのかにいれてそでぐくみにもたり おきな かどをえあけやらねば よりてひき-たすくる いとかたくななり おほむ-とものひと よりてぞあけつる
ふりにけるかしらのゆきをみるひともおとらずぬらすあさのそでかな
わかきものはかたちかくれず とうち-じゆじたまひても はなのいろにいでて いとさむしとみエつるおほむ-おもかげ ふとおもひ-いでられて ほほ-ゑまれたまふ とうのちゆうじやうに これをみせたらむとき いかなることをよそへいはむ つねにうかがひくれば いまみつけられなむと すべなうおぼす よのつねなるほどの ことなることなさならば おもひすててもやみぬべきを さだかにみたまひてのちは なかなかあはれにいみじくて まめやかなるさまに つねにおとづれたまふ ふるきのかはならぬ きぬ あや わたなど おイびと-どものきるべきもののたぐひ かのおきなのためまで かみしもおぼしやりてたてまつりたまふ かやうのまめやかごともはづかしげならぬを こころやすく さるかたのうしろみにてはぐくまむ とおもほしとりて さまことに さならぬうちとけわざもしたまひけり かのうつせみの うちとけたりしよひのそばめには いとわろかりしかたちざまなれど もてなしにかくされて くちをしうはあらざりきかし おとるべきほどのひとなりやは げにしなにもよらぬわざなりけり こころばせのなだらかに ねたげなりしを まけてやみにしかなと もののをりごとにはおぼしいづ
としもくれぬ うちのとのゐどころにおはしますに たいふのみやうぶまゐれり みけづりぐしなどには けさうだつすぢなく こころやすきものの さすがにのたまひたはぶれなどして つかひならしたまへれば めしなきときも きこゆべきことあるをりは まうのぼりけり あやしきことのはべるを きこエさせざらむもひがひがしう おもひたまへわづらひて と ほほゑみてきこエやらぬを なにざまのことぞ われにはつつむことあらじと なむおもふ とのたまへば いかがは みづからのうれへは かしこくとも まづこそは これは いときこエさせにくくなむ と いたうことこめたれば れいの えんなる とにくみたまふ かのみやよりはべるおほむ-ふみ とて とりいでたり まして これはとり-かくすべきことかは とて とりたまふも むねつぶる みちのくにがみのあつごエたるに にほひばかりはふかうしめたまへり いとようかきおほせたり うたも
からころもきみがこころのつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ
こころえずうち-かたぶきたまへるに つつみに ころもばこのおもりかにこたいなるうち-おきて おし-いでたり これを いかでかは かたはらいたくおもひたまへざらむ されど ついたちのおほむ-よそひとて わざとはべるめるを はしたなうはえかへしはべらず ひとりひき-こめはべらむも ひとのみこころたがひはべるべければ ごらんぜさせてこそは ときこゆれば ひき-こめられなむは からかりなまし そでまきほさむひともなきみにいとうれしきこころざしにこそは とのたまひて ことにものいはれたまはず さても あさましのくちつきや これこそはてづからのおほむ-ことのかぎりなめれ じじゆうこそとり-なほすべかめれ また ふでのしりとるはかせぞなかるべき といふかひなくおぼす こころをつくしてよみいでたまひつらむほどをおぼすに いともかしこきかたとは これをもいふべかりけり と ほほゑみてみたまふを みやうぶ おもてあかみてみたてまつる いまやういろの えゆるすまじくつやなうふるめきたるなほしの うらうへひとしうこまやかなる いとなほなほしう つまづまぞみエたる あさましとおぼすに このふみをひろげながら はしにてならひすさびたまふを そばめにみれば
なつかしきいろともなしになににこのすゑつむはなをそでにふれけむ
いろこきはなとみしかども など かきけがしたまふ

末摘花 現代語訳 06-153/06-175

お車を出すことになる門はまだ開けてなかったので、鍵の預かり人を尋ね呼び出したところ、たいそう老いたる翁が出て来た。その娘か孫か、はっきりしない年格好の女が、衣服は雪の白さのために煤け具合が目立ち、寒そうにしている様子がとてもひどくて、妙なものに火をほんの少し入れて袖で包むようにして持っている。翁が門を開け放てないために、側に寄って引くのを手伝う、とても見苦しい。君のお供の人が寄って行って開けた。
「ふりにける頭の雪を見る人もおたらずぬらす朝の袖かな
(年を経て傷んだ
頭に積もった雪のような白髪を
見る者も哀れもよおし涙で、
その老人にもおとらず、また浮気な恋人を待つ人にもおとらず
湿らせる朝の袖であること)
若い者は着の身着のままで」と、詩句を諳んじになられても、鼻の先が赤らんでとても寒そうに見えた姫君の面影がふと思い出されて、つい顔をほころばせになる。頭中将にその様子を見せでもした日には、どんなことを喩えに言うだろうか、いつも様子をさぐりに来るから、すぐに見つかってしまうだろう、と逃れるすべなくお思いになる。
世間にざらにある程度の、魅力のなさであるならば、思いを捨ててでも縁を断ってしまえるが、はっきりと様子をご覧になった後では、かえって愛情こまやかに、誠実にみえるなさり方で、いつもお見舞いなさる。姫の好む黒貂の皮とはいかぬが絹綾綿など、老いた女房たちにふさわしい衣類、あの翁のためにまで上下の服をお気に掛け差し上げになる。こうした誠意の見せ方も恥ずかしくお感じならない様子を気安いことに、そうした生活面での援助者としてお世話しようとご決心なさり、世間の慣行とは異なりふつうには考えられないようなお世話までお焼きになる。あの空蝉の場合も、契りを結んだ宵の横目には、ひどく見栄えしない顔立ちであってが、対応のみごとさに隠れて、失望を感じなかったもので、見劣るに決まった人であろうか。いや、まったくもって、女のよしあしは階級によらぬ意味深いものだことよ、機転がよく効いて癪に思えたが、根負けして止めてしまったものだと、何かあるごとに思い出しになった。
年も暮れてきた。内裏の宿直所に君はいらっしゃるところへ、大輔の命婦が参上してきた。君の御髪の手入れなどには、恋愛じみた感情ではなく気安さから、といって艶っぽい冗談をおっしゃったりなどもしながら、この女房を長くお使いになっていらしたので、君からのお召しがない時でも、何か申し上げる事柄がある際には、君のもとへ参上するのだった。
「一風変わったできごとがございますが、お耳にお入れ申さないのも心がねじけていまいかと思い悩まれまして」と、ニヤニヤしたまま、申し上げようとしないのを、
「どうした用向きだ、わたしには遠慮はいるまいと、そう思ってきたが」とおっしゃると、
「どうしましょう。わたしごとの愁訴なら、恐れ多くとも、まっさきに。でも、こちらはとてもお耳にお入れ申しにくくて」と、ひどく口ごもるので、例の思わせぶりだとお恨みになる。
「あの宮様からのお手紙でございます」と命婦は取り出した。
「まして姫のことであってはとり隠してよいものか」と、お取り上げになるにつけても、胸のつぶれる思いがする。陸奥国紙の分厚いのに、香りだけは深く焚きしめてある。歌まであり、
からころも君が心のつらければたもとはかくぞそぼちつつのみ
(からころも
りっぱなあなたの心が
つらいので
たもとはこのように
ぬれそぼってばかりです)
真意がのみこめず首をかしげておいでのところに、包みの布に衣装箱の重そうで古風なのを、取り出して押し出す。
「これを人ごとながら、どうしてひやひやしないでおられましょう。とはいえ、元日の御衣装として特にご用意なさったものを、ぶしけにお返しもなりません。わたくし一存で隠しおきますことも、姫のお気持ちにそむくましょうため、ごらんに入れました上で」と申し上げると、
「姫にしても隠されてはつらかろうな。共寝して涙を乾かしてくれる伴侶もいない身にとっては、とてもうれしいこころざしではあるが」とおっしゃって、そのほかは特に何もお口になさらない。
それにしても、あきれた詠みぶりだ。これぞご自身の筆の限りを尽くされたものであろう。侍従こそ直してしかるべきなのに、それにまた、筆の手をとって教える教師がいなくてよいものかと、言葉にもできないひどいものだとお考えになる。心を尽くして詠みだしになったであろうそのご様子をご想像になるに、とても恐れ多い行いとは、これをも言うべきものだろうと、薄ら笑いをうかべてごらんになっている様子を、命婦は顔を赤らめて拝見している。
今風の許し色が許し難いほど艶なく古ぼけてしまった直衣で、裏も表も一様に濃く、しごくありふれたもので、その端がところどころ見えている。あきれたものだとお感じになって、この手紙をひろげながら、その端にいたずら書きをなさるのを、命婦が横合いからのぞいてみると、
「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖に触れけむ
(心引かれる
色でもないのに
どうしてこの
末摘花という紅花を
この袖で触ったりしたのだろうか)
禁色である色の濃い花だと思っていたのに」などと書きよごしになる。

末摘花 注釈 06-153/06-175

はしたなる 06-154

女が老人の娘とも孫とも、どっちつかずでわからないこと。

大きさ 06-154

そうした年齢からくる体の大きさで、実際は、十何才といったところなのだろう。老人が年より老けているために、それくらいの年の少女が、娘とも孫とも見分けが付かないのである。

雪にあひて 06-154

真っ白な雪のせいで。

まどひ 06-154

程度がはなはだしいこと。

あやしきもの 06-154

語り手が名も知らぬよくわからないもの。

寄りてひき助くる 06-155

主語は、老人の(孫)娘。

いとかたくななり 06-155

門を開けるのを手伝っている女の子の様子だが、門がかたくてなかなか開かないことも掛けているように思う。なかなか開かないために、光のお供の者までが開けるのを手伝うのである。

降りにける 06-157

「ふり」は、雪が降ると年を経ると、髪が古くなるをかける。

見る人も 06-157

光が自分のことを言っている。

「劣らず」「幼き者は形蔽れず」 06-157

ふたつながらにかける。つまり、恋人が浮気ばかりして全く来てくれず毎日袖を濡らして泣いている人にも劣らず、の意味がこもる。この辺り、橘の木につもる雪、松の木にかかる雪、老人の頭につもる雪という、パターン描写が面白い視覚的効果を作り上げている。なお、この歌は、老人が寒い中で働いている姿が、見ていてかわいそうだとの歌意だが、そこから、白楽天の詩句が呼び起こされる。「幼き者は形蔽(かく)れず、老いたる者は体温かきことなし」がそれであり、老人の冷えた体から、前の句が呼び起こされたのだ。それは、孫または娘が、少女にもかかわらず、力をふりしぼり門をあける様子が、なりふり構わない姿であり、語り手が「いとかたくななり」と描写したものを、「形蔽れず」と光は口にしたのである。この詩の続きは、「悲喘(ひぜん)寒気とともに、鼻中に入りて辛し」となり、ここから、先ほど横目で見た末摘花の鼻の赤らみを思い出して笑うと続いてゆくのである。

世の常なるほどの 06-159

「ことなさ」の程度を限定する。

異なることなさ 06-159

「ことなる」は、特別な。「ことなさ」は、重要な点がないこと。全体で、ひどいわけではないが、目立って取るべき点がない程度のありふれた女性の場合ならとの意味。諸注はこれを顔立ちに限定するが、対応のぱっとしない点をいうのだろう。

思ひ捨てても 06-159

「も」がポイント。ぱっとしない相手なら当然、思い棄てるのがふつうである。しかし、相手は宮様であり、こちらはまめ男の光だから、あえてそうしないと思い棄てることはできないのである。その心理的抵抗が「も」にあらわれている。さて、その女の顔だが、見たらぱっとしないどころかひどいものだった。それがために、まめ男の光は、他の男では世話をしないだろうという思いから、これを棄てるに忍びず、かえって心動かされ、まめに世話をするのである。

黒貂の皮ならぬ絹綾綿など 06-160

一種のいやみ。姫の好む黒貂を贈るわけにはいかぬが、その代わりとなる絹綾綿の意味。

老い人ども 06-160

あとに「あの翁」とあるので、こちらは年老いた女房たち。

かやうのまめやかごとも 06-161

実生活上の援助。相手が正妻であれば、通う男性の生活費を女性の親兄弟が出すものであり、それをしないことは、物質面で「据ゑ」という正妻でないことを意味し、そのうえ、末摘花は宮家の血をひくため、二重に生活援助を受けることは恥じるべきことであるが、それを感じないのである。

さならぬ 06-161

そうあるべきでない。

うちとけわざ 06-161

具体的にはわからないが、本来姫がすべきこともかわって、光が世話したということである。世話が姫のみに終わらず、女房や下々のものにまで及んだことを言うか。

かの空蝉の 06-162

「の」は何格であろうか。これはなかなかの難問である。考え方をかえて、どこにつづくのだろうか。かかりそうなところは、A「うちとけたりし宵の側目」B「容貌ざまなれど」C「人なりやは」D「心ばせ」など。Aは側目が光の行為だからだめ。Bは「なれど」につづくから変(「空蝉の容貌ざまなれど」は言葉にならない)。C「なりやは」につづくのでだめ。Dは素直につづくが、あまりに遠く自然ではない。この「の」は特殊で、準体格と考え、あとに「場合は」「容貌は」などを補って、「容貌ざまなれど」につづくと考えるよりないと思う(それか、不自然でも連体格と考えて「心ばせ」につづけるかだ)。「かの空蝉の(場合は)……いとわろかりし容貌ざまなれど」となる。その間は挿入句。

うちとけたりし 06-162

セックスのあとの放恣状態をいう。こういうところは、訳がごまかされて何を言っているのか、訳だけ読んだのではわからないところである。

もてなし 06-162

衣服と注されているが、この語にそういう意味はなく、光との接し方、つまり、男を遠ざけるようでひきつけるテクニックである。そういう点が、まったく末摘花にはないのだ。

口惜しう 06-162

つまらぬ女にひっかかった場合の気持ちなんかによく出て来る語。

「劣るべきほどの人なりやは」「げに」06-162

諸注ともに、末摘花は空蝉に比べて劣る身分であろうかと解釈するが、ありえない。だいたい、宮家の血をひく末摘花と衛門督の娘を比較して、宮様が受領の女房に劣る身分だろうかなどという、発想方法をするはずがない。二人の階級差は「品」という語で歴然とあるが、女の出来として空蝉は末摘花に劣るはずの女であろうか、いいやそんなことはない、という自分への問いかけがこの部分である。その結果として、女のよしあしは階級によるのではないという結論に達するのである。「げに」とあるのは、雨夜の品定め(『帚木』)で左馬頭が諦観した「今は、ただ、品にもよらじ、容貌をばさらにも言はじ……」を、なるほどと反芻しているのである。ここで、ちょっと、雨夜の品定めにもどるが、その時にも注したが、一般に光はその折り、先輩方の女性論、すなわち、中流階級の女、わけても、もとは上流階級に属しながら今は落ちぶれている女性が一番いいという結論に真剣に耳を傾け、それを後に実践したのだと解釈されている。しかし、その当時、光の頭は、藤壺のことで満たされており、中流の女性が一番だなどという与太話を、入れる余地はなかったはずであり、現に居眠りしたり、ぼっとしていて注意されたりして、いっこう身を入れて聞いている様子はないのである。のちになって、そうした議論に添うようにして、話が展開し、実際に中流階級の女性と肉体関係を結び、心の交流をも交え、それぞれの魅力に引かれはするが、だからといって、藤壺よりそれらの女性がいいという議論にはならない。実生活をともにする紫の上を大事にすることと、藤壺への思慕とは、比較が難しく、紫を一番とも藤壺を一番ともしづらいが、雨夜の品定めの単純化された結論をもって、光と女性との関係を割り切るのは危険であると思う。

心ばせのなだらかにねたげなりし 06-162

性格がおだやかでしっかりしていると解釈されているが、どこから読んでもそんな解釈にはならない。性格がおだやかなら、ねたしと感じないし、負けることもない。「心ばせ」は、気が走ること。利発さである。「なだらかに」は、角が立たないようにすることで、具体的には光がいろいろ言葉を尽くして情を結ぼうとするが、それをするするっとかわしてしまうことである。「ねたげ」は、光は空蝉に太刀打ちできずに小癪に感じてきたことを意味する。これは嫌うことではなく、好意が受け入れられないことからくる、反発と同時に敬意でもある。結局のところ、光は強引に空蝉を押さえつけることができず、中途半端で終わったから、若い光はいつまでも忘れられずにいるのだ。本当にいい女であったかどうかは、書かれていない。

大輔の命婦 06-164

この帖の最初のあたりで、光の愛人であろうと注した。

懸想だつ筋なく 06-165

光の気持ちとして恋愛感情はないとの意味。命婦の方は、そうではないところが、思わせぶりな態度として出て来るのである。

さすがに 06-165

そうではあっても、しかしながらという逆接。「心やすきもののさすがに……」ではない。気安さからは冗談口をたたくのは自然である。「懸想だつ筋なく心やすきもののさすがに……」と考え、恋愛感情はなく気安いからこの命婦を使うのだが、かといって、エッチな冗談も言いながら使うという流れ。

あやしきことのはべるを 06-166

へたな和歌や変な贈り物に対して予防線をはっていると考えられているが、命婦は、光の恋愛後日談が滑稽なものとなったこの現実を、一種面白がっているのではないだろうか。もともと、命婦は好んで末摘花を紹介したのではないし、ここでのもっと回った命婦の態度は、女として焼いているのであり、それゆえ、うまくいかない末摘花との関係を楽しんでいると考えるのが自然なのではないか。

ほほ笑み 06-166

苦笑いではなく、光の失敗をにやついて笑っている。

いかがは 06-166

「いかがはせむ」の略。遠慮はいらないとの光の勧めを、どうしようかと引き延ばしている。「いかがつつみはべらむ(どうして遠慮などしましょう)」という解釈は、「例の艶なる」と矛盾する。

みづからの愁へ 06-166

だいたいここで、自分の訴えなら遠慮なく言うがということを言う場面ではない。命婦は、末摘花からの贈り物をネタに光と話がしたいのであり、嫌みをしてやりたいのだ。

聞こえさせ 06-166

「させ」は使役だが、人を介して光に告げるのではなく、使役を使った謙譲表現である。光という貴い人の耳に無理に話を入れるという感じ。

例の艶なる 06-166

以前にも「あまり色めいたり」とあった。命婦は光に惚れているのだ。

胸つぶる 06-168

胸がひどくいたむこと。諸注は、末摘花の贈り物が光にとって趣味の悪いのを困ったことであるとの思いから胸がいたむと考えるが、ひとりの女として恋の取り結びをすることも(命婦は末摘花の歌をみる権利はなく、末摘花からの手紙は恋の歌と考えるのがふつうであるから)つらく思うのだろう。

陸奥紙 06-169

厚手の紙で、薄いものを洗練したものとして好む恋文にはふさわしくない。

いとよう書きおほせたり 06-170

このように恋文にふさわしくない無趣味な紙に書きおおせたものだとの嫌み。

歌も 06-170

「も」は、歌までもついているという皮肉。

唐衣 06-170

「着る」にかかる枕詞だが、ここのでは、「君」の「き」にかかっている。唐衣は中国渡りの衣装で立派ではあるが、しっくりと身に合うものではないため、そうした気持ちを反映させる歌に使われる言葉。この歌全体は、雪の朝に光の口ずさんだ歌「降りにける頭の雪を見る人も劣らず濡らす朝の袖かな」に対する返しとなっている。

心得ず 06-170

「君が心のつらければ」とあるのに対して、そのようにつらい思いをさせている反省がないために、光は首をかしげているのである。諸注にあるような「からころも」の意味がわからないというような表面的なことは問題にはならない。ここで「心得ず」とあれば、歌の意味以外なく、それは、あなたが冷たいから悲しいということであって、からころもなどの表面的な言葉の使い方などの枝葉はどうだってよいことなのだ。

かたはらいたく 06-171

そばではらはらすること。正月の衣装は正妻が調えるものであって、末摘花のすべきことではない。

はしたなう 06-171

無礼にも。

人の御心 06-171

尊敬語があるので、一般的な言い方をしながら末摘花の気持ちを指している。

ご覧ぜさせてこそは 06-171

ともあれご覧にいれようとの意味とも、ともあれご覧に入れた上でことを決めようの意味にもなるが、ここでは後者と考えるのが、命婦の気持ちに添うだろう。

引き籠められなむは 06-171

「られ」は、「からかりなまし」の主体が末摘花であることから考え、末摘花を主体にした受け身と考えるのが自然である。「尊敬」との注もあるが、それでは引き込める主体である命婦に対する敬語になってしまう。会話中に身分にかかわらず尊敬語が用いられることはあるが、ここはそう考えると下とつながりにくくなる。

からかり 06-171

「辛し」の連用形。

なまし 06-171

「な」は完了・強意の「ぬ」の未然形。

袖まきほさむ人もなき 06-171

「沫雪は今日はな降りそ白たへの袖まきほさむ人もあらなくに(沫雪は、どうか今日は降らないでほしい、一緒に寝て涙を乾かしてくれる人がいないのに、その上濡れては耐えられないから)」(万葉集、よみ人しらず)を引く。末摘花が「かくぞそぼちつつのみ」と詠んだのを、添い寝する相手がなく泣き濡れているのは自分であるとの冗談口。こうした軽口が出るところからして、光は末摘花の悲しみを真剣には取り上げてはいない。

ことに 06-171

「異に」で、その他は。

口つき 06-172

歌の詠みぶり。

手づからの御こと 06-172

歌の書きぶり、侍従は歌の詠みぶりを直す役目。

侍従 06-172

女君の御乳母子で、先に光への返歌を、末摘花に代わって行った。

筆のしりとる博士 06-172

歌の書きぶりを直す役目。「筆のしりとる」は、握っている筆の端を持って、運筆を指導すること。初学者への指導である。

いともかしこき方 06-173

身分の高い末摘花が精一杯思いをこめて詠んだものだから、歌としてへたでも、これもまた恐れ多いものと考えようという、半ば冗談口だが、ここには、歌は詠み人自身の反映であるという、言霊思想が隠れている点で興味深い。

ほほ笑み 06-173

前回同様、薄ら笑いである。

命婦面赤みて 06-173

末摘花の歌がひどいであろうと想像して恥じらっているとの解釈もよいが、ひとりの女として恋敵である末摘花からの歌を光が見るという場面に立ち会っていることに恥ずかしさを感じているとわたしは読みたい。そうすることで、光には光のドラマがあり、命婦には命婦のドラマが生まれるのである。ひとつの場面においてさえ、それぞれがそれぞれの思惑の中で行動している点、交響楽にもたとえられるこうしたドラマ構成が、他の古典にはない源氏物語の魅力である。紫式部日記の中で、重要でない人物へ感情移入する紫式部ならではであろう。

今様色 06-174

薄紅色とも濃い紅梅色とも考えられている。確かなことは、禁色である緋色(濃い紅色)に対して、許された色が今様色である。実際の色がどんな色であったかは、歴史的な考証を必要とするであろうが、この文脈より読み取れる限りでは禁色に近い濃い色であったに違いない。それは、今様色(ゆるし色)なのに、「えゆるすまじく」であり、裏表が「こまやかなる」状態すなわち色が濃いと書かれており、さらに、比喩的だが末摘花(紅花)の色移りした色となっているからである。語釈をすすめながら、この点は後述したい。

えゆるすまじく 06-174

今様色が許し色(聴色)であるのにという冗談。

裏表ひとしうこまやかなる 06-174

服の裏表は色を変えるものなのに同一で「こまやか」つまり色が濃いものを使っている。

なほなほしう 06-174

平凡。

つまづま 06-174

端々。

あさまし 06-175

驚きあきれた様。

端に手習ひすさびたまふを側目に見れば 06-175

「端に手習ひすさびたまふを」を読んだかぎりでは、先のつづきから、その主体は末摘花と読めるが、「側めに見れば」を読んだ段階で、ここには敬語がないので、「見る」の主体は命婦となり、「手習ひすさびたまふ」の主語は末摘花でなく、光であったと解釈を入れ替えることになる。このように、後まで読んではじめて解釈が決定される場合があることに注意したい(より精確には、かかる先を読みおわるまで、すべての解釈は決定できない)。

なつかしき 06-175

心がなついてしまう、つい慕いたくなるの意味。

すゑつむ花 06-175

紅花のこと。末摘花は宮家の血を引き、本来的には、一生独身であることが望まれる身分である。鼻が赤いから紅花である末摘花と名付けられたとされるが、それよりも本来的には、禁色に似た色としての末摘花なのである。このことは後述する。

すゑつむ花を袖に触れけむ 06-175

諸注は、(どうして)末摘花の袖を触れたのだろうかと解釈しているが、この歌の主旨をまったくはき違えている。自分へのつけとどけの直衣を茶化しているという大前提を理解していないのだ。「すゑつむ花を袖に触れ」るとは、むろん、末摘花と契りを結ぶことだが、一義的には、光が自分の袖を末摘花(紅花)に触れることで赤く色変わりしてしまったことを指すのであり、この状況から解釈するなら、好みの品ではない表裏同色の直衣を光は受け取ることにしたことを、末摘花を袖に触れて、色が変わったと表現しているのである。従って、歌の真意は、契りを結んだことの後悔と、また、このような色の直衣を受け取ることになった後悔である。

色濃き花と見しかども 06-175

定家の奥入より「紅を色濃き花と見しかごも人をあくだにうつろひにけり」(紅は紅花のことで、紅花は本来色の濃い花だと思っていたが、人を満足させるどころか、灰汁にあたって色が変わったように心変わりしてしまった)との意味を「河海抄」は行うが、色変わりが重要なのではなく、遠目には色濃き花で禁色であると思っていたのに、近づけば紅花で許されたものだったとの意味、つまり、血筋としては高貴でありながら、実質においては教養も魅力もない女であったということ。

2020-05-24

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