06末摘花02

2020-05-24

末摘花 原文 06-022/06-039

022命婦 かどある者にて いたう耳ならさせたてまつらじ と思ひければ 曇りがちにはべるめり 客人の来むとはべりつる いとひ顔にもこそ いま心のどかにを 御格子参りなむとて いたうもそそのかさで帰りたれば なかなかなるほどにても止みぬるかな もの聞き分くほどにもあらで ねたうとのたまふ けしきをかしと思したり 023同じくは け近きほどの立ち聞きせさせよとのたまへど 心にくくて と思へば いでや いとかすかなるありさまに思ひ消えて 心苦しげにものしたまふめるを うしろめたきさまにやと言へば げに さもあること にはかに我も人もうちとけて語らふべき人の際は 際とこそあれ など あはれに思さるる人の御ほどなれば なほ さやうのけしきをほのめかせと 語らひたまふ 024また契りたまへる方やあらむ いと忍びて帰りたまふ 025主上の まめにおはしますと もてなやみきこえさせたまふこそ をかしう思うたまへらるる折々はべれ かやうの御やつれ姿を いかでかは御覧じつけむと聞こゆれば たち返り うち笑ひて 異人の言はむやうに 咎なあらはされそ これをあだあだしきふるまひと言はば 女のありさま苦しからむとのたまへば あまり色めいたりと思して 折々かうのたまふを 恥づかし と思ひて ものも言はず 026寝殿の方に 人のけはひ聞くやうもやと思して やをら立ち退きたまふ 027透垣のただすこし折れ残りたる隠れの方に 立ち寄りたまふに もとより立てる男ありけり 028誰れならむ 心かけたる好き者ありけり と思して 蔭につきて立ち隠れたまへば 頭中将なりけり
029この夕つ方 内裏よりもろともにまかでたまひける やがて大殿にも寄らず 二条院にもあらで 引き別れたまひけるを いづちならむと ただならで 我も行く方あれど 後につきてうかがひけり 030あやしき馬に 狩衣姿のないがしろにて来ければ え知りたまはぬに さすがに かう異方に入りたまひぬれば 心も得ず思ひけるほどに ものの音に聞きついて立てるに 帰りや出でたまふと 下待つなりけり 031君は 誰ともえ見分きたまはで 我と知られじと 抜き足に歩みたまふに ふと寄りて ふり捨てさせたまへるつらさに 御送り仕うまつりつるは
  もろともに大内山は出でつれど入る方見せぬいさよひの月
と恨むるもねたけれど この君と見たまふ すこしをかしうなりぬ 032人の思ひよらぬことよ と憎む憎む 
  里わかぬかげをば見れどゆく月のいるさの山を誰れか尋ぬる 
かう慕ひありかば いかにせさせたまはむ と聞こえたまふ 033まことは かやうの御歩きには 随身からこそはかばかしきこともあるべけれ 後らさせたまはでこそあらめ やつれたる御歩きは 軽々しき事も出で来なむと おし返しいさめたてまつる 034かうのみ見つけらるるを ねたしと思せど かの撫子はえ尋ね知らぬを 重き功に 御心のうちに思し出づ
035おのおの契れる方にも あまえて え行き別れたまはず 一つ車に乗りて 月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど 笛吹き合せて大殿におはしぬ 036前駆なども追はせたまはず 忍び入りて 人見ぬ廊に御直衣ども召して 着替へたまふ 037つれなう 今来るやうにて 御笛ども吹きすさびておはすれば 大臣 例の聞き過ぐしたまはで 高麗笛取り出でたまへり 038いと上手におはすれば いとおもしろう吹きたまふ 039御琴召して 内にも この方に心得たる人びとに弾かせたまふ

末摘花 原文かな 06-022/06-039

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

みやうぶ かどあるものにて いたうみみならさせたてまつらじ とおもひければ くもりがちにはべるめり まらうとのこむとはべりつる いとひがほにもこそ いまこころのどかにを みかうしまゐりなむ とて いたうもそそのかさでかへりたれば なかなかなるほどにてもやみぬるかな ものききわくほどにもあらで ねたう とのたまふけしき をかしとおぼしたり おなじくは けぢかきほどのたちぎきせさせよ とのたまへど こころにくくてとおもへば いでや いとかすかなるありさまにおもひきエて こころぐるしげにものしたまふめるを うしろめたきさまにや といへば げに さもあること にはかにわれもひともうちとけてかたらふべきひとのきはは きはとこそあれ など あはれにおぼさるるひとのおほむ-ほどなれば なほ さやうのけしきをほのめかせと かたらひたまふ またちぎりたまへるかたやあらむ いとしのびてかへりたまふ うへの まめにおはしますと もて-なやみきこエさせたまふこそ をかしうおもうたまへらるるをりをりはべれ かやうのおほむ-やつれすがたを いかでかはごらんじつけむ ときこゆれば たち-かへり うち-わらひて ことびとのいはむやうに とがなあらはされそ これをあだあだしきふるまひといはば をむなのありさまくるしからむ とのたまへば あまりいろめいたりとおぼして をりをりかうのたまふを はづかし とおもひて ものもいはず しんでんのかたに ひとのけはひきくやうもやとおぼして やをらたちのきたまふ すいがいのただすこしをれのこりたるかくれのかたに たちよりたまふに もとよりたてるをとこありけり たれならむ こころかけたるすきものありけり とおぼして かげにつきてたちかくれたまへば とうのちゆうじやうなりけり
このゆふつかた うちよりもろともにまかでたまひける やがておほいどのにもよらず にでうのゐんにもあらで ひき-わかれたまひけるを いづちならむと ただならで われもゆくかたあれど あとにつきてうかがひけり あやしきむまに かりぎぬすがたのないがしろにてきければ えしりたまはぬに さすがに かうことかたにいりたまひぬれば こころもえずおもひけるほどに もののねにききついてたてるに かへりやいでたまふと したまつなりけり きみは たれともえみわきたまはで われとしられじと ぬきあしにあゆみたまふに ふとよりて ふりすてさせたまへるつらさに おほむ-おくりつかうまつりつるは
もろともにおほうちやまはいでつれどいるかたみせぬいさよひのつき
とうらむるもねたけれど このきみとみたまふ すこしをかしうなりぬ ひとのおもひよらぬことよ とにくむにくむ
さとわかぬかげをばみれどゆくつきのいるさのやまをたれかたづぬる
かうしたひありかば いかにせさせたまはむ ときこエたまふ まことは かやうのおほむ-ありきには ずいじんからこそはかばかしきこともあるべけれ おくらさせたまはでこそあらめ やつれたるおほむ-ありきは かるがるしきこともいできなむ と おしかへしいさめたてまつる かうのみみつけらるるを ねたしとおぼせど かのなでしこはえたづねしらぬを おもきこうに みこころのうちにおぼしいづ
おのおのちぎれるかたにも あまエて えゆきわかれたまはず ひとつくるまにのりて つきのをかしきほどにくもがくれたるみちのほど ふえふきあはせておほいどのにおはしぬ さきなどもおはせたまはず しのびいりて ひとみぬらうにおほむ-なほし-どもめして きかへたまふ つれなう いまくるやうにて おほむ-ふえ-どもふきすさびておはすれば おとど れいのききすぐしたまはで こまぶえとりいでたまへり いとじやうずにおはすれば いとおもしろうふきたまふ おほむ-ことめして うちにも このかたにこころえたるひとびとにひかせたまふ

末摘花 現代語訳 06-022/06-039

命婦は機転の利く女で、あまり聞き慣れ申し上げないようにと思ったので、
「曇りがちでございますようです。来客があるとのことでした、避けている風に見えるのも何ですから。また次回気持ちの急かない時に。御格子は下ろしましょう」と言って、強くも琴を勧めないで君のもとへ戻って来たので、
「これからなのに、かえって聞かない方がましなくらいなうちに終わってしまったものだ。その人の心のうちを聞き分ける余裕もなくて。憎らしい」とおっしゃる。いい女であろうなと興味をお持ちになった。
「どうせなら、親密になれる近さで立ち聞きをさせてほしい」とおっしゃるが、気になる程度にしておこうとの考えから、
「どうでしょう、どこにも身の置き所がないよう消える思いいらし、いじらしくいらっしゃるようなのに、心配なご様子では」と言うと、まったくそれもそうである。いきなりこちらも向こうも、心開いて語らうことができるような身分であれば、その程度の身分の恋愛ですませられるが、相手がいたわしくお思いになるほどのご身分であるため、
「それでも、そうした心配でいるこちらの思いをほのめかせよ」と語りかけになる。
他に言い交わしておられる方があるのだろう、命婦とは別にこっそりとお帰りになられる。
「帝が、あなたさまはお堅くいらっしゃると、お気を揉まれ申し上げになることが、おもしろく存じられます折りが時々ございますが、このようなお忍びのご様子を、どうしたってお目にとまりましょうか」と申しあげると、君は立ち返り、つと笑って、
「自分を棚上げして、別人が言うみたいに、咎めだてないでおくれ。これを浮気な振る舞いだと言うなら、女の暮らし振りは申し訳立つまい」とおっしゃるので、あまりに身持ちが悪そうだとお思いになって、折々こんな風におっしゃられるのを、決まりが悪く思って何も返事をしない。
寝殿の方に、姫君の気配が聞けるかしらとお思いになって、つとその場をお離れになる。壊れた透垣がわずかに残っている物陰にお立ち寄りになってみると、前から立ち続けの男がいた。誰であろう、懸想をしかけている好き者が姫にはいたのだなとお思いになり、物陰に入ってそっとお隠れになるが、相手は頭中将であった。この夕方、お二人は内裏から一緒に退出なさったが、君はそのまま左大臣邸にも寄らず、二条院にも行かないで、別れてしまわれたのが、どこへお行きかとどうにも気になり、自分も寄って行く女があるけれど、あとについてここで様子をうかがっていたのである。いやしい馬に乗り、狩衣姿という飾らぬなりで来たので、君の知るとことにはならなかったが、さすがに君がこんな異様な場所に入って行かれたので、得心が行かず目指す場所はここなのだろうかと案じているうちに、琴の音に心引かれ立って聞き、まあ帰って来られるのだろうと、ひそかに待っていたのである。
君は、誰ともえ見分きたまはで、我と知られじと、抜き足に歩みたまふに、ふと寄りて、
「ふり捨てさせたまへるつらさに、御送り仕うまつりつるは。
もろともに大内山は出でつれど
入る方見せぬいさよひの月
と恨むるもねたけれど、この君と見たまふ、すこしをかしうなりぬ。
「人の思ひよらぬことよ」と憎む憎む、
里わかぬかげをば見れどゆく月の
いるさの山を誰れか尋ぬる
「かう慕ひありかば、いかにせさせたまはむ」と聞こえたまふ。
「まことは、かやうの御歩きには、随身からこそはかばかしきこともあるべけれ。後らさせたまはでこそあらめ。やつれたる御歩きは、軽々しき事も出で来なむ」と、おし返しいさめたてまつる。かうのみ見つけらるるを、ねたしと思せど、かの撫子はえ尋ね知らぬを、重き功に、御心のうちに思し出づ。
それぞれ情を交わした女のもとにも、甘えた気持ちから別れてお行きにならず、ひとつの車に一緒に乗って、月が美しくも雲間にかくれる道中の間、笛を合奏しながら左大臣邸にお戻りになった。
先払いなども走らせにならず、人目を忍んでお入りになり、誰も見ていない廊の屋で御直衣などを召し寄せ着替えをされる。つれなくも大臣のもとにすぐにも来る様子でありながら、御笛など気ままに吹いておられるので、大臣はいつものごとく、聞き過ごしになれず、高麗笛をお取り出しになった。とても上手でいらっしゃるので、実にみごとにお吹きになる。お琴を召し寄せ、妻のいる御簾の内にも、このこの方面に心得のある女房たちに弾くようご命じになる。

末摘花 注釈 06-022/06-039

かど 06-022

才気。姫君の演奏がそれほどでもないので、光に気を持たせる程度でやめたいと思い、いろいろと機転を働かせる。

曇りがちにはべるめり 06-022

曇りでは湿度が高く、琴がよく響かないし、おぼろ月も見えにくいことを意味し、命婦はそう告げることで、姫君に演奏をよしてはどうかと暗に伝えているのである。

客人の来む 06-022

宮中での用事にかこつけ、退散の名目とした。

いとひ顔にもこそ 06-022

命婦が戻っていないと、相手が避けたと思うのではと心配している。「もこそ」は心配を示す表現。

なかなかなるほど 06-022

中途半端なためかえってはじめから聞かない方がよかったと後悔される程度の意味。

もの聞き分くほどにもあらで 06-022

諸注は琴の腕前を聞き分けると考えるが、「なにばかり深き手ならね」とすでに光は腕前を見抜いている。ここは姫君の発言「聞き知る人こそあなれ」(鍾子期のように琴の演奏から奏者の気持ちを推し量る人がいるとのこと)を受け、まだ女君の心中を推し量るまでには至っていないとの意味である。琴を友とした暮らしでは本当は寂しく思っているのではとの思いが光にはあるのであろう。

ねたう 06-022

命婦が、琴の演奏を途中で中断させたことに対して。

とのたまふ けしきをかしと思したり 06-022

「とのたまふ気色をかしと思したり」と考え、そう発言する光を命婦は興味を持ったととるが、論外であろう。「思し」の敬語は命婦には使われない。さらに「気色」は、姫君の様子とする説、すなわち、琴の演奏から姫君の様子を身近に知りたくなったとする説であり、いま一方は、後者は、この夜の中で琴の演奏をするという趣向全体を指すのであると説く、琴の演奏から様子を知りたくなったのであれば、まだ見ぬ対象である姫君に対しては「気色をかし」でなく「けはひをかし」とあるべきだと考えるのである。語感をとるならこちらが正論に思える。しかし、「け近きほどの立ち聞きさせよ」につながるのは、相手の姫君に対して興味をもったからであって、この場の雰囲気であるなら、演奏を続けよでいいわけだ。では、どう考えるのがよいのか。「気色」の語感を今一度確認しておこう。「気色」は直接見るなどにより直に伝わってくる感覚であり、「けはひ」はよくわからぬ対象から間接的に伝わってくる感覚である。ここで、光が直に感じているものは、演奏以外にないのかが問題なのである。それは、すぐ前に注した「聞き知る」の対象、すなわち、琴の演奏を通して伝わる奏者の心である。光は「もの聞き分くほどにもあらで」と言っているが、何程かを伝え聞いたのである。それを伝える言葉として話者は、間接的な「けはひ」でなく直接的な「けしき」と表現したのであろうというのがわたしの考えである。今は語感から攻めたが、文脈をたどるとわかりやすいかと思う。この文章の中心主題は何か。それは、琴の演奏にあるのではなく、琴を弾いている女への光の関心にあるのである。そこで光は「け近きほどの立ち聞きせさせよ」と命じたのである。

け近き 06-023

男女の親密な関係を指す言葉であって、単なる物理的近さを言うのではない。恋人でしか近寄れない距離まで、導けと言っているのである。

心にくくて 06-023

長く聞かせては飽きられるとの心配から、興味を引く程度にとの思い。

いとかすかなるありさまに思ひ消えて 06-023

気持ちが沈んでいることを言うのではなく、「かいひそめ人疎うもてなしたまえへば」の同義で、自分の存在を無に等しい小さなものと思い決めている様子を示す。

ありさまに思ひ消えて 06-023

そういう風に思いが消えてではなく、そういう風に思って自分の身が消えているのである。

心苦しげ 06-023

心配で胸がつまること。

うしろめたきさまにや 06-023

光が性急に近づきたい様子を見せるので、単なる遊び相手として見ていないのではとの懸念から、心配ではありませんかと機先を制したのである。よって、「や」は詠嘆の終助詞ではなく、「やあらむ」という語りかけの省略であり、疑問の係助詞である。

げにさもあること 06-023

「さも」は、「さもうしろめたきさまなり」の意味。

にはかに 06-023

「うちとけて語らふべき」にかかる。

際は際とこそあれ 06-023

当時のことわざであるらしく、そも本来の意味は知れないが、いきなりうちとけて語りあえる身分は、それだけの身分に過ぎない。自分たちはそんな恋愛をする身分ではないのだとの意味だと推測できる。

なほさやうのけしき 06-023

「さ」について、A「け近きほどの立ち聞きせさせよ」とか、B「あはれに思される」を指すとかの説がある。Aは「あはれに思される人の御ほどなれば」に続かない。大事に思うのであれば、性急にはゆけないからだ。Bは光の心内語であり、これを受けるとするのは、他に受ける対象が見あたらない時に限るべきである。「なほ」は命婦に留められたがそれでも諦めがつかないという光の執着を示し、「さやうの気色」は命婦の発言である「うしろめたきさま(なり)」を受け、心配しているという気持ちをそれとなく伝えてほしいと、恋の橋渡しを依頼したのである。

契りたまへる 06-024

約束があるのではない。今晩約束があるのに、琴を聞きに行くのはおかしい。これは、懇ろな関係にある女性が他にあることを示す。

いと忍びて 06-024

命婦に対しても行く先を告げず別れたのである。

まめにおはします 06-025

光の性格に対しての帝の評。「いといたく世を憚りまめだち給ひけるほどなよびかにをかしきことはなくて」と『帚木』の帖にもあった。

こそ……已然形 06-025

逆接で下につづく。

いかでかは 06-025

強い疑問、決してお見つけにならないの意味。光は堅物だとの先入見があるため、目の前でそうした姿を見ても、目に入らないだろうという皮肉。

異人の言はむやうに 06-025

一種の決り文句、自分のことはさておき、言う資格のある別人が言うみたいに言うとの意味。

女のありさま 06-025

「女」という一般称を用いて命婦の暮らし振りをなじる。先に述べたように、命婦は、帝と光の両方に仕え、おそらくふたりに対して性的関係にあると思われる。「上のまめにおはしますともて悩みきこえさせたまふこそをかしう思うたまへらるるをりをりはべれ」との発言がそれを匂わしているようにわたしには思える。あれ(光)はまじめ過ぎて心配だという発言は、女との睦言の中での会話がふさわしいであろうし、すでに光と関係を結んでいる命婦はぺろりと舌を出して面白がったであろうと想像させられる。もっとも、わたしにはそう読むのが自然だと思えるだけであって、論文として光と命婦が男女の関係にあったことを証し立てるのではない。論文が拾える範囲は狭く、文学は広いのだ。文学作品としてそう読む方が面白いではないかと提起しているに過ぎない。取捨は読者に委ねる。それはともかく、この命婦はなかなか明るくていい。朧月夜の内侍に一脈通ずる気がする。

注意する箇所は特にないが、空間としての位置関係がややこしいので前回からの流れを整理する。光は故常陸宮邸の命婦の部屋にいて、姫君の琴を聞いたのであった。命婦は多く聞かせると腕前がばれてしまうと思い、そうそうに戻ろうとするが、光が別の女のもとへゆくつもりらしく、命婦とは別々に帰ろうとしたのであった。その帰りに、光は寝殿の方を通ったのである。「人のけはひ聞くやうもや」と、姫君の様子が気になったからである。

立ち退き 06-026

その場を離れるの意味である。光は命婦の部屋出てと解釈する注があるが、命婦が宮中に戻って行ったあと、一人で命婦にいるというのは考えにくい。帰り道のコースから外れ、くらいの意味であろう。実際には寝殿の方へ近づいていったのである。

心かけたる 06-028

女に懸想している。

頭中将なりけり 06-028

話者が聞き手に説明しているだけで、光はいまだ相手が頭中将だとは気づいていない点に注意。

この夕つ方……後につきてうかがひけり 06-029

光から頭中将へ主体が途中で変化して見え、読みづらく感じられるが、話者はここで、頭中将の立場に立って論じているのである。話者が登場人物になるのは、登場人物の心内語を語る時、およびその前後である。ここでは「いづちならむとただならで我も行く方あれど」の部分がそれにあたり、心内語をはく主体と話者が一体化するのである。登場人物と話者が一体化するとは、話者にとって頭中将はもはやheの立場になく、Iになってしまうのだ。そこで、主語として頭中将は現れなくなるのだ。次に光の立場だが、頭中将から見て、光はただ一人の相手であるyouである。その動作には主体敬語である尊敬語がつく(「もろともにまかでたまひ」も中心主体が光である)から、これにより自分の動作と見分けつけうるのである。

あやしき馬……下待つなりけり 06-030

「心も得ず」が頭中将の心内語であり、この前後は頭中将の立場に話者は立つのである。「え知りたまはぬ」「かう異方に入りたまひぬれば」「帰りや出でたまふ」は主体敬語である尊敬語がつくことから、相手のyouである光の動作であり、それ以外の省略された主語は、頭中将と理解することになる。もっとも、光の立場に立つ時は、光から他者を見るのは前の通りだが、光の動作そのものには、主体敬語が現れるのである。見る視点としては光の位置となりながら、しかして光の動作にも敬語をつけるという、直説法と間接法が自在に使い分けられるところが日本語の特徴であるのだ。「かう異方に入りたまひぬれば、心も得ず思ひけるほどに」で、後をつけて来た頭中将は、こんな荒れ果てた家の娘と光ができていることが信じられなかったのである。尾行に気づかれまかれたろうかなど、いろいろと案じている箇所が「思ひけるほどに」の部分。しかし、琴の音が聞こえてきたので、ああやはりこの家が目指す場所だったのだと安堵したであろう。「帰りや出でたまふ」とは、もしかすると、ここで待っていてもだめかという思いがあったから、こういう語が出たのである。何気ない書きぶりのうちに、頭中将の心の揺れが述べられている、名文といっていい箇所である。「下待つ」は、心待ちにすること。すなわち、相手は知らないことながら、光の出て来るのを待っていたのである。

狩衣姿 06-030

「狩衣姿」をしているのは「え知りたまはぬに」の対象であるから、頭中将である。『花鳥余情』の説くように、宮中では狩衣のような略服は許されないので、どこかで着替えたことになる。それは、光に尾行がばれないようにするためである。では、どの時点で着替えたのか。「あやしき馬に狩衣姿のないがしろに来ければ」とあるので、馬に乗りだした時点で狩衣姿であったと読むのが自然であり、道中のどこかで止まって着替えたとは読みにくい。そんなことをすれば光を見失うおそれがある。牛車なら車の中で着替えることも可能だろうが、馬上で着替えることは不可能である。では、宮中で着替えたのだろうか。しかし、光の尾行のために着替えるのだから、宮中の時点では、光がどこに行こうとしているか頭中将には知り得ないはずだ。にもかかわらず、先に着替えてしまうのはおかしい。さて困ったとなるが、次のように考えると『新全集』のいう不自然さはなくなる。光とともに内(内裏とも紫宸殿とも読める)から出た頭中将は、光がどこかへ立ち寄り着替えをするのを見かけたのである(その場所は、宮中内とも外とも読める)。頭中将はそれを目撃してしまったので、ははあ、これは女のもとにゆくんだなと判断し、自分も狩衣姿に身をやつして後を追ったのである。なお、光も「狩衣姿」であったかどうかは、ここには述べられていないので、判然としない。

御送り仕うまつりつるは 06-031

「は」を感動の助詞とする説があるが、「殊勝かな」等が省略されていると考える。

大内山 06-031

宇多法皇の御所となった御室(仁和寺)の裏山から意味が転じて内裏の意味としてつかわれる。

恨むるもねたけれど 06-031

「恨む」の主体は頭中将であり、「ねたけれど」の主体は光。

人の思ひよらぬこと 06-031

人を尾行するなどという卑劣なことは、ふつうは考えつくようなことではないという皮肉。

いるさの山 06-032

兵庫県但馬にある入佐山で、入る際(イルサ)をかける。

まことは 06-033

話題を転じるときの言葉、それはそうとくらいの意味。

随人から 06-033

随人の働き次第で。

軽々しき事 06-033

貴族の身分にとって、軽率だとの非難を免れないようなできごと。

おし返し 06-033

尾行された光が本来なら腹を立てるところを、逆に頭中将から説教されたということ。

かうのみ見つけらるる 06-034

これまでの話の中で同様のことはないとする注があるが、『若紫』の帖で、北山に出かけた光の居所を探し求めた頭中将他が「かうやうの御共は仕うまつりはべらむと思ひたまふるを、あさましくおくらせたまへること」と発言したことがあった。女のもとへの忍び歩きではないが、北山で若紫を見つけたのだから、光の心理としては、やばいところを見つけられたという思いがあったのであり、そのことがここに現れていると考えることは可能であろう。

撫子 06-034

頭中将と夕顔との間の娘。のちの玉鬘である。

契れる 06-035

約束があると解釈されている。しかし、以前も述べたが、今回の末摘花の訪問は急に思い立ったものであり、また、光自身は末摘花と懇意になるために、もっと長い間琴を聞いていたかったのである。とても先約のある状況ではない。「契れる」は、その日に約束があるのではなく、以前から将来を約束し、結婚した女である。そういう女のもとへは、近くを通った時には、寄って行くのが男の愛情であり、社会通念だったと考えるべきである。先約をすでにしていると考えるより、遠出をした時には、その近くの女のもとに寄るのが礼儀だと考えれば、ある女と大恋愛をしたその翌朝の帰りに、別の女のところへゆくという行動も、不自然なく読めるのである。契りをいったん結んだ限りは、生涯面倒を見るのであり、いつと決めずとも、機会があれば通ってゆくのである。

あまえて 06-035

ある礼を越えて馴れ馴れしくすることで、通い先の女とに甘える、光と頭中将が甘え合うの二解釈が与えられている。しかし、後者であるなら、一線を越えた愛情が両者の間に働いていると読むことになろう、かなり強引な解釈だと思う。しかし、通う女に対して甘えるのも、女がほれてくれているから、それに甘えて行かなくてもいいだろうと考えるのだから、光の行動パターンとしてはうなずきにくい。これは、上で説明したごとく、女の家の近くを通る時には、寄って行くのが通例である。それを甘ったれた気持ちから、すなわち、自分に甘えて見過ごしたと読むのが自然であると思う。女が好意から行かないのを許してくれるわけではない。たとえば、光の中にあるこいうした甘えが、御息所との関係に出てくるのである。御息所が許してくれると光が考えるのでなく、自分の中に光は甘えを抱え込んでいると読む方が自然であると思う。

月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど 06-035

二つの「ほど」はともに時間と解釈されているが、前の「ほど」が時間であれば、月の美しいときになぜ雲隠れした道を通るのか、わたしには支離滅裂で理解できない。この「ほど」は程度を表し、月が美しいくらいに雲間に見え隠れする道を読むべきであろう。月が美しいのでなく、月が雲間に見え隠れする様子が美しいのである。

前駆なども追はせたまはず 06-036

光や頭中将が戻ってきたら、それを知らせる伝令を、左大臣や葵のもとに走らせるのであるが、それをせずということ。外出時に、先払いして、貴人の通行を告げ知らせるのとは、ここは意味あいが違う。

御直衣 06-036

普段着。

つれなう今来るやうにて御笛ども吹きすさびておはすれば 06-037

「つれなう今来るやうにて」は、何くわぬ顔でと解釈されている、すなわち、女のもとへ行っていたことを隠し、宮中から今戻った様子をしての考えるのである。しかし、その読みは二つの点で賛成できない。ひとつは「つれなし」の語義から離れすぎていて不自然である点、もうひとつは「今来る」の意味は、「今戻った」の意味にならないからである。あまりに明々白々だから何を言っているかさえわからないかもしれながいが、こうである。「今」という語は、それのみでは、今から(未来)の意味にも、今ちょうど(現在)の意味にも、今はもう(現在完了)の意味にもなるが、それは時の表現と結びついてその意味が決定されるのである。感覚として、未来6割、現在3割であり、完了とはむすびつきにくい。例えば、『桐壺』より順に例をみてゆこう。「今は亡き人とひたぶるに思ひなりなん」は、「今は……なん」で、今後のことを示す決意である(「今は亡き人」ではない)。「もの思ひ知りたまふは……心ばせのなだらかにめやすく憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる」について、一見現在完了のように見えるが、亡くなった桐壺のことを今になって思い出すという現在の反復行為を示すのである。また、「今は、なほ、昔の形見になずらへてものしたまへ」は、命令形と結びついて、これからはの意味になる。さて、ここで「今来る」は、完了を示す表現がない以上は、ふつうに考えても「今来た」とはならず、今から行くという意味にとるのが自然なのである。来ると行くはおかしい気がするが、「来る」とは、行く先の相手から見た表現で、自分から見ればgoであり、相手から見ればcomeであるのと同じなのである。それではここで相手は誰か。それは左大臣である。左大臣は、二人が帰ってきたから挨拶に来るであろうと期待しているのである。今来るか今来るかと期待しているにもかかわらず、つれなくも、笛を吹いていて来ないのである。原文を忠実に読めば、「つれなう」は「来る」ではなく、「おはすれば」にかかる。つれなくも~しているである。つれなくも、今にも来そうにしていながら、笛を気ままに吹き愉しんでいるので、と解釈できる。そこで、左大臣としては、面目はつぶれるのだが、「例の聞き過ぐしたまはで」という性格であり、高麗笛を持って自ら光のもとに行くのである。ここで「例の」は「聞き過ぐし」ではなく「過ぐし」にかかる。いつも光が演奏をしているのではなく、光が帰って来るといつものように見過ごさずということ。今日はたまたま演奏をしていたので、「見過ぐす」ではなく「聞き過ぐす」となったのである。左大臣はなんと愛すべき人ではないか。「内」にもは、正妻である葵のいる母屋の御簾のうち。光のいる場所とは建物が別であるが、夜のしじまを通して、建物越しに合奏しあうのである。

2020-05-24

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