老人これを連ねて歩 空蝉04章02

2021-03-31

原文 読み 意味

老人 これを連ねて歩きけると思ひて 今 ただ今立ちならびたまひなむ と言ふ言ふ 我もこの戸より出でて来 わびしければ えはた押し返さで 渡殿の口にかい添ひて隠れ立ちたまへれば このおもとさし寄りて おもとは 今宵は 上にやさぶらひたまひつる 一昨日より腹を病みて いとわりなければ 下にはべりつるを 人少ななりとて召ししかば 昨夜参う上りしかど なほえ堪ふまじくなむと 憂ふ 答へも聞かで あな 腹々 今聞こえむ とて過ぎぬるに からうして出でたまふ なほかかる歩きは軽々しくあやしかりけりと いよいよ思し懲りぬべし

03020/難易度:☆☆☆

おイ-びと これ/を/つらね/て/ありき/ける/と/おもひ/て いま ただいま/たちならび/たまひ/な/む と/いふ/いふ われ/も/この/と/より/いで/て/く わびしけれ/ば え/はた/おしかへさ/で わたどの/の/くち/に/かい-そひ/て/かくれ/たち/たまへ/れ/ば この/おもと/さし-より/て おもと/は こよひ/は うへ/に/や/さぶらひ/たまひ/つる をととひ/より/はら/を/やみ/て いと/わりなけれ/ば しも/に/はべり/つる/を ひとずくな/なり/とて/めし/しか/ば よべ/まうのぼり/しか/ど なほ/え/たふ/まじく/なむ/と/うれふ いらへ/も/きか/で あな はら/はら いま/きこエ/むとて/すぎ/ぬる/に からうして/いで/たまふ なほ/かかる/ありき/は/かろがろしく/あやしかり/けり/と いよいよ/おぼし/こり/ぬ/べし

老女はこの女を連れて歩いていたのだと今になって気づき、「今に、すぐにも背丈が並びましょう」と言ひながら、自分もこの戸より出てくる。小君は困ってしまい、それでも老女を押し返すわけにもゆかずにいると、渡殿の戸口にぴたと身を寄せて君が隠れていらっしゃるところへ、この老女が迫って行って、「そなたは、今夜は上でお仕えなされたか。おとといより腹を下して、なんともしようがのうて下にさがっておりましたに、人少なだからとお召しで、昨夜はあがりましたが、やはりがまんできそうになくて」とこぼす。答えも聞かずに「ああ、腹が腹が。また話そう」とて行ってしまったのにおよび、どうにか無事に君は館を後になさる。やはりこのような忍び歩きは軽はずみで危ういことだと、いよいよお懲こりになったに相違ない。

老人 これを連ねて歩きけると思ひて 今 ただ今立ちならびたまひなむ と言ふ言ふ 我もこの戸より出でて来 わびしければ えはた押し返さで 渡殿の口にかい添ひて隠れ立ちたまへれば このおもとさし寄りて おもとは 今宵は 上にやさぶらひたまひつる 一昨日より腹を病みて いとわりなければ 下にはべりつるを 人少ななりとて召ししかば 昨夜参う上りしかど なほえ堪ふまじくなむと 憂ふ 答へも聞かで あな 腹々 今聞こえむ とて過ぎぬるに からうして出でたまふ なほかかる歩きは軽々しくあやしかりけりと いよいよ思し懲りぬべし

大構造と係り受け

古語探訪

連ねて歩きける 03020

「ける」は過去ではなく、いわゆる気づきのけりと言われる用法。何だ、民部のおもとと一緒だったのかと、気づくのである。自問自答した時点では、小君と民部のおもとは、老女の頭の中では一人一人ばらばらの存在であったが、今あらためて、二人で歩いていることに老女は気づくのである。寝ぼけていた頭が次第に覚醒してきたのだろう。

わびしけれ 03020

困った状況になったこと。

ば 03020

文法的には順接であるが、これを受ける「押しかへさで」のかかってゆく先がなく、中途半端に浮いた状態になっている。すなわち、「押しかへさで」という説明のまま小君はストップモーションがかかった状態にあり、あとは老女がまた自問自答し、光が戻って行ってしまうのである。登場人物から観客の位置に移行すると言ってもよい。わたしたちは、この小君に位置から舞台を見るのでより臨場感をもって物語に入って行けることになる。なお、訳出上は「(押し返さないで)いると」くらいを補う必要があろう。

上 03020

空蝉のそば。場所では母屋。

わりなけれ 03020

どうしようもない。

下 03020

自室。女房たちは渡殿などを細かく仕切り休み場所としていた。

憂ふ 03020

愚痴をこぼす。

答へ 03020

今夜は上でお仕えされたのかという質問に対する答え。

歩き 03020

女のもとへの忍び歩き。

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