こたみは妻戸を叩き 空蝉03章03
原文 読み 意味
こたみは妻戸を叩きて入る 皆人びと静まり寝にけり この障子口に まろは寝たらむ 風吹きとほせとて 畳広げて臥す 御達 東の廂にいとあまた寝たるべし 戸放ちつる童もそなたに入りて臥しぬれば とばかり空寝して 灯明かき方に屏風を広げて 影ほのかなるに やをら入れたてまつる いかにぞ をこがましきこともこそと思すに いとつつましけれど 導くままに 母屋の几帳の帷子引き上げて いとやをら入りたまふとすれど 皆静まれる夜の 御衣のけはひやはらかなるしも いとしるかりけり
03013/難易度:☆☆☆
こたみ/は/つまど/を/たたき/て/いる みな/ひとびと/しづまり/ね/に/けり この/さうじ-ぐち/に まろ/は/ね/たら/む かぜ/ふき/とほせ/とて たたみ/ひろげ/て/ふす ごたち ひむがし/の/ひさし/に/いと/あまた/ね/たる/べし と/はなち/つる/わらはべ/も/そなた/に/いり/て/ふし/ぬれ/ば とばかり/そらね/し/て ひ/あかき/かた/に/びやうぶ/を/ひろげ/て かげ/ほのか/なる/に やをら/いれ/たてまつる いかに/ぞ をこがましき/こと/も/こそ/と/おぼす/に いと/つつましけれ/ど みちびく/まま/に もや/の/きちやう/の/かたびら/ひきあげ/て いと/やをら/いり/たまふ/と/すれ/ど みな/しづまれ/る/よ/の おほむ-ぞ/の/けはひ/やわらか/なる/しも いと/しるかり/けり
小君は今度は妻戸を叩いて中へ入る。女房たちはみな静かに寝ていたようだ。「この襖の入り口のとこで寝とこう。風が通るように戸を開けててよ」と、しとねをひろげて横になる。女房たちは東の廂に大勢で寝ているらしい。妻戸を開けておいてくれた女童(メノワラワ)も、そちらへ行って寝てしまったので、しばらく寝たふりをした後、灯の明るい方に屏風を広げ、火影がほのかになったところに、そっと君を招じ入れてさしあげた。中の様子はどんなだろう。見つかってはみっともないことになると、ご心配なさるにつけ、とても用心なさるが、小君の導くままに、母屋の几帳の帷子を巻き上げて、そっと静かに中へ入ろうとなさるが、皆寝静まっておいでの夜のこと、君の召し物は当たりのやわらかい高貴な香りを発しており、それだけでも、闖入者は明らかであったのだ。
こたみは妻戸を叩きて入る 皆人びと静まり寝にけり この障子口に まろは寝たらむ 風吹きとほせとて 畳広げて臥す 御達 東の廂にいとあまた寝たるべし 戸放ちつる童もそなたに入りて臥しぬれば とばかり空寝して 灯明かき方に屏風を広げて 影ほのかなるに やをら入れたてまつる いかにぞ をこがましきこともこそと思すに いとつつましけれど 導くままに 母屋の几帳の帷子引き上げて いとやをら入りたまふとすれど 皆静まれる夜の 御衣のけはひやはらかなるしも いとしるかりけり
大構造と係り受け
- 053
古語探訪
こたみ 03013
今回。前回は、光を妻戸に立たせ、南の隅の格子を叩いて、中に入ったのであった。
障子口 03013
母屋と廂を隔てる襖障子の入り口。
風吹きとほせ 03013
光が入れるように、暑さにかこつけ、妻戸を閉めず、開けっぱなしにしておけということ。最初、妻戸には鍵がかかっており、小君はそれをノックして鍵を開けてもらい、中に入った。妻戸を開けてくれたのは、後に出る「童」で、それが戸を閉めようとしたので、小君が制止したのであろう。「障子」の方は自分で開けておいただろうと思われる。「風吹くと人には言ひて戸はささじあはむと君にいひてしものを(風を入れたいからとの理由で、戸はそのまま開け放しておこう、逢いたいとあなたに言ったはずなのにまだ来ないから)」(古今六帖・二)を下に敷く。
御達 03013
女房たち。
寝たるべし 03013
小君の立場に立ち、小君からは直接見えないが、そのように感じられるという判断を示す。
童 03013
女童。
そなた 03013
東の廂。
とばかり 03013
少しの間。
やをら 03013
そっと。
いかにぞ 03013
「いかにぞあらむ」の略。部屋の中はどういう具合かとの心配。
をこがましきこと 03013
ばかな目にあう、すなわち、女に逃げられるとの説と、夜這いが見つかり、みっともない姿を人目にさらすこととの説とがある。「をこがまし」は自分が人の目からみて愚かに見られる、笑いものになることであり、自分が馬鹿な想いをすることではないので、ここは後者と考えるしかない。
つつましけれ 03013
用心する。
帷子 03013
几帳のカーテンの部分。
御衣のけはひ 03013
諸注は「衣擦れの音」と考える。その方が、「みなしづまる」「やはらか」などこの文としてはよくマッチするが、すぐ後に「かかるけはひのいとかうばしくうち匂ふに」と、言いかえられていることを考えあわせると、この「けはひ」は音に関するものではなく、匂いに関するものである。なぜなら、「かかるけはひ」は「御衣のけはひ」を受けるのではなく、「いとしるかりける御衣のけはひ」を受ける。これは、「御衣のけはひ」のように文意が不特定ものではない。不特定であれば、音から匂いに意味を変えても文意を損ねないが、これはそうでなく、源氏とわかる気配と意味が特定されているので、音から匂いに意味を変えることは、考えない方が自然であろう。「やはらかなる」は鼻につんとこない、ふんわりとした匂い。まだ遠いので、匂いたつような香りではないが、遠くからでも匂ってくるような匂いであり、その点で、高貴な人である光源氏が来たことが知れるのである。なお、匂い、明るい時には、他の刺激に消されてわかりにくいものであるが、暗がりでは非常に感覚が鋭敏になるものである。そのあたりが、「夜の」に表現されていよう。
しるかりけり 03013
香りの正体が明らかであったの意味。ここは、誰か(空蝉や女房たち)に知られたという、物語の具体的事柄ではなく、知ろうと思えば、光とすぐわかる匂いであるという、一般化された内容であって、まだ誰にも気づかれていないのである。空蝉が気づくのはこの後であり、時間があっちこっちに飛んでいるわけではない。