みそめしこころざしいとほしくおもはば 見そめし心ざしいとほしく思はば みそめしこころざしいとおしくおもわば 見そめし心ざしいとおしく思わば 02-075
「見そめし」は関係を結んだ当初。「心ざし」は愛情。「いとほし」は心を痛める感情。自分に対してつらい。相手に対してかわいい、かわいそう。男に浮気性があるからといって、出会った当初の愛情を今でも男がいじましく思うのであればの意味となる。「思はば」の主体は男でなければならない。文章構造としては、主体を女にすることもできるが、それだと、単に昔を思って男の浮気を我慢しろとの意味になってしまう。「思はば……思ひてもありぬべき」は相関関係で、「男がそう思うならば、女はこう思うように努力すべきだ」との意味である。
ここは左馬頭の前言「かならずしもわが思ふにかなはねど、見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人はものまめやかなりと見え、さて保たるる女のためも心にくく推し量らるるなり(必ずしもこちらの望みに添うのではないが、ひとたび結んだ夫婦の契りを棄てがたく愛情を注ぎつづける男は誠実を地でゆくものと見え、そうなればこそ 縁を保たれる女性も世間から奥ゆかしく人だと思われるのです)/02-053」と呼応する。
今よりずっと男女の組み替え自由である社会であり、男は現在この女への熱は冷めている。男の心変わりを女が激しく恨めば男は去って行くだけで、関係は終わってしまう。しかし、男の方でも付き合いだした当初の愛情を大切にする感情が残っている場合、それは男が誠実な証しであるから、女は安心して長く関係をつづけることができる、というのが左馬頭の論。男がよそに女を持つのは当時の風俗として非難すべきものではなく、嫉妬して男を怒らせたりしない女性は奥ゆかしいと世間でも評判になる。全く男の身勝手な論理であるが、女も別の男を通わせることができるのだから、男性側だけを責めても意味がない。
また なのめに移ろふ方あらむ人を恨みて 気色ばみ背かむ はたをこがましかりなむ 心は移ろふ方ありとも 見そめし心ざしいとほしく思はば さる方のよすがに思ひてもありぬべきに さやうならむたぢろきに 絶えぬべきわざなり
(左馬頭)それにまた、ちょっと浮気心を持つ人を恨みかっとなって心が離れるのも、これまた愚かしいことで、たとえ今心がふらふらしていても見初めあった当初の愛情から相手にすまぬと思う気持ちが男にあれば、頼りがいのある夫だと女は思ってもよいはずなのに、そんな風に気持ちのたじろぎから縁は絶えてしまうものなのです。