いとなべてはあらねど なべて…ず 02-023
この解釈は二手に分かれる。頭中将の発言を受けて全部ではないが部分的にあてはまるとの解釈と、光源氏の経験を受けて全部を知っているわけではないがとの解釈である。文構造としては、「あらねど」と「(や)あらむ」が呼応しあって、「なべては思し合はするにはあらねど、われ思し合はすることやあらむ」が圧縮されたと考えられる。「いとなべてはあらねど」が「思し合はする」にかかるのであれば、頭中将の女性論を受けることになるが、「あらむ」にかかるのであれば、光源氏の経験を受けると考えた方がよい。光源氏の経験のすべてが頭中将の女性論に当たるわけではないが、部分的には一致するのであろうか、という語り手の推測。
いとなべてはあらねど われ思し合はすることやあらむ うちほほ笑みて その片かどもなき人はあらむやとのたまへば
まったくすべてがその意見に合致するわけではないもののご自身でも思い当たる節がおありなのだろう、思わず苦笑して、そんな少しの取り柄もない人がいるものかなとおっしゃっると、