ひとまつらむやど 人待つらむ宿 02-104
男が通って来ないかと待ち焦がれている女の家。雨夜の品定めの導入部で、頭中将が「おのがじし、恨めしき折々、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見所はあらめ/02-012」と光源氏の手紙を読みたがっていた件があった。「人待つらむ宿」も一種の言い回し。この表現に対しては古来さまざまな解釈がなされて来たが、いまだに定説はないようである。
問題を整理すると、一、「人待つらむ宿」の「人」は誰か。二、上人はどの時点で下車したのか。三、なぜ左馬頭は上人を制止もせず女の元を訪ねようとしたのか。などを矛盾無く説明する解釈がないようである。順に見て行くと、一「人待つ」は通ってくる男を待つ意味。月の美しい夜だから、こうした話題が出るのは自然であり、一般論と考えれば、左馬頭でも上人でも当てはまる。上人の狙いは、左馬頭を呼び込むことであるから、その意図さえ知られなければよいのである。二「とて」がかかる先は文末の「下りはべりぬかし」以外にないので、二人とも一緒に車を降りたとしか読めない。問題は三である。「男の訪れを待っている女の家が妙に気になると」言われた時に、左馬頭の脳裏に浮かんだことは、A「一般論として聞き流す」B「自分と女がばれているんじゃないかと心配する」C「女の存在を知っていてそういうのだから連れて行けと催促しているのか」などであろう。左馬頭のその後の行動と矛盾しないのは、Cの方向、すなわち、上人を女の元に連れて行こうと意図をもって車を降りる場合しかない。自分のモテぶりを自慢したい、自分の女がいかにいい女であるか自慢したい、そうした心理を利用されたのだ。
神無月のころほひ 月おもしろかりし夜 内裏よりまかではべるに ある上人来あひてこの車にあひ乗りてはべれば 大納言の家にまかり泊まらむとするに この人言ふやう 今宵人待つらむ宿なむ あやしく心苦しきとて この女の家はた 避きぬ道なりければ 荒れたる崩れより池の水かげ見えて 月だに宿る住処を過ぎむもさすがにて 下りはべりぬかし
神無月の頃月の美しい夜に、内裏より退出いたしました折り、ある殿上人と行きあいわたしの牛車に途中まで相乗りすることなりましたので、大納言の家に出向いて宿る予定といたしましたところ、この人が言うには「今宵人持ちしてる宿のことがどうにも気がかりで」と、折しも例の女の家が道沿いで避けることはならず、荒れた築地のくずれからは池に映った月影がのぞかれ、月ですら宿る住みかを素通りするのもさすがに心苦しくつい二人して降り立ってしまったのです。