ちやうごんかのおほんゑ ちょうごんかのおんえ 長恨歌の御絵 01-083

2021-04-24

この部分、なぜ貫之が漢詩を詠むのか、通読不能とされて来た。しかし、「亭子院の描かせたまひて 伊勢貫之に詠ませたまへる」を語り手による御絵の説明としてカッコに入れ、「このごろ明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵 大和言の葉をも唐土の詩をもただその筋をぞ枕言にせさせたまふ」と考えれば難読箇所はない。いつもご覧の長恨歌屏風から、歌でも漢詩でも桐壺の思い出に合致する部分を引いて、話の枕とされたということ。「その筋」は桐壺の思い出と長恨歌のストーリーと合致する箇所。長恨歌の御絵だけでは、わかりにくかろうと語り手がコメントを付したばかりにかえってわかりにくくさせたようだ。
なお、「亭子院の描かせたまひて」の「せ」について、使役説と尊敬説が拮抗する。のちに、「絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども(桐壺)」と出てくる点から判断すれば、この屏風に絵を描いたのは絵師である。また、「御屏風四帖に内裏の御手書かせたまへる(若菜上)」から考え、帝自身が描くなら「亭子院の御手描かせたまひて」とでもなろう。文の対句構造から考えても、絵師に描かせたと使役に取る以外にない。


このごろ明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵 亭子院の描かせたまひて 伊勢貫之に詠ませたまへる 大和言の葉をも 唐土の詩をも ただその筋をぞ枕言にせさせたまふ

このごろ明け暮れにご覧になるのは長恨歌の絵屏風で、それは亭子院(宇多法王)が絵師に描かせ、伊勢や貫之に歌を詠ませになったもので、和歌でも漢詩でも決まってあの方の思い出話に合致する筋を取り上げそれを枕に帝は昔語りをお始めになるのです。

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