おんおくりのにようばうのくるまにしたひのりたまひて おんおくりのにょうぼうのくるまにしたいのりたまいて 御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて 御送りの女房の車に慕ひ乗りたまいて 御送りの女房の車に慕ひ乗り給ひて 御送りの女房の車に慕ひ乗り給いて 01-038
葬送には、目上の者は参列しないのが慣わしなので、母宮の行動は当時の行動様式から考えると奇矯なものである。しかし、式部は、娘の死が度外れた行動をとらしむることを奇矯とはとらず、同情をもって描いている。これは当時にあっては特異な才能である。清少納言は弱者を好奇な目で見る目はもっているが、同情はしない(同情することはヒエラルキーを逆転させることだから)。万葉の古代世界はこの点おおらかである。「母北の方なむいにしへの人のよしあるにて(母は家柄の古い教養豊かなお方で)/01-006」と響きあう。
限りあれば 例の作法にをさめたてまつるを 母北の方 同じ煙にのぼりなむと泣きこがれたまひて 御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて 愛宕といふ所に いといかめしうその作法したるに おはし着きたる心地 いかばかりかはありけむ
規則のあることだから作法どおりに葬って差し上げるが、母君は同じ煙に乗ってあの世へ行ってしまいたいと泣きこがれになり、葬送の女房の車に無体にお乗りになって、愛宕というおごそかに葬儀が執り行われている土地へお着きになったお心持ちは、どのようなものであったでしょうか、