ななとせあまりがほど 七年あまりがほど 02-107
頭中将や光源氏よりも左馬頭は七歳上と注釈されるがあやしいと思う。左馬頭が「若き時の心だに/02-129」そう思ったのであり、七年間かけてこの達観を手に入れたわけではない。これは光源氏の七年後あたりを想定した発言と思われる。現在光源氏は十七歳。二十四歳頃のできごとで生涯に関わるとすれば、朱雀帝(光源氏の兄で弘徽殿の女御の息子である)の寵愛を一身に集めた朧月夜内侍(弘徽殿の女御の妹)との関係が発覚し、須磨流しに結びつくのが二十五歳の時。上の流れからすると、この事件と関わると読むのが自然であろう。
御心のままに 折らば落ちぬべき萩の露 拾はば消えなむと見る玉笹の上の霰などの 艶にあえかなる好き好きしさのみこそ をかしく思さるらめ 今さりとも 七年あまりがほどに思し知りはべなむ
御心のままに手折ればこぼれ落ちてしまいそうな萩の上の露や、手にとれば消えてしまう笹の葉の上の霰のような、なまめかしくひ弱で色っぽい女性ばかりにご興味がおありでございましょうが、いまはそうでも七年あまりもたつうちにはきっとお分かりになっておられましょう。