さばかりにてありぬべく 然ばかりにてありぬべく ぬべし 02-101
まさにそのようにあるべきだ。「ばかり」は強調でまさにの意味である。あれくらいの意味ではない。「さ」がそれより前の文章、すなわち指を喰う女を受けるとすると、この女は理想的な女性であったことになり、「人の心の時にあたりて気色ばめらむ見る目の情けをば、え頼むまじく思うたまへ得てはべる/02-090」の具体例として持ち出したそもそもの意図を失ってしまう。「さばかり」の「さ」は直後の「はかなきあだ事をもまことの大事をも言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫と言はむにもつきなからず、織女の手にも劣るまじく」を受けると考えるほかない。文末に「ありぬべし」を入れるとわかりやすい。そもそも、これを受けるとしないと、/02-114の二つの文章はつながりがなく、分裂してしまう。
ひとへにうち頼みたらむ方は さばかりにてありぬべくなむ思ひたまへ出でらるる はかなきあだ事をもまことの大事をも 言ひあはせたるにかひなからず 龍田姫と言はむにもつきなからず 織女の手にも劣るまじく その方も具して うるさくなむはべりし とて いとあはれと思ひ出でたり
ひたすら信をおこうと思う伴侶としては、こんな風であってほしいとこの女のことがつい思い出されたのです。ちょっとした私的なことでもまことの大事でも相談すればしがいがあり、着物を染め上げる腕前は竜田姫といってもおかしくないし、仕立ての腕はたなばた姫の手にも劣らないくらいであってほしいけれど、ただ例の性格も備わって全くご立派でした」と言って、左馬頭はひどく愛しそうに思い出すのでした。