やまがつのかきほあるとも 山がつの垣ほ荒るとも 02-110
「やまがつ」は女が自分を卑下して言った言葉とされるが、女が自分に見立てたのは「やまがつ」ではなく「垣ほ」である。娘である撫子が咲き出すの場所であるから、比喩として意味をなす。都会的洗練に欠けたやまが育ちのわたしである垣ほが「荒る」とは、手つかずのまま放置され経年変化した状態であるが、これは男に見放された状態を意味する。そう考えると、「垣ほ」は女性器を暗示し、この女の娼婦性を示す言葉である。「とも」は仮定。私のことはほったらかしでも。
山がつの垣ほ荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露
山がつの垣は手つかず荒れるとも、折りあるごとに愛情をそそいでくださいな、あなたが撫でてかわいがってくださらないから、撫子は露にまみれて泣きじゃくっていますよ