03空蝉01 囲碁の対局

2020-06-0203空蝉

空蝉 原文 かな 対訳 01章001/036

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《寝られたまはぬままには 我はかく人に憎まれてもならはぬを》001
ね/られ/たまは/ぬ/まま/に/は われ/は/かく/ひと/に/にくま/れ/て/も/ならは/ぬ/を
君はお休みになれぬままに、「私はこんなにも人の恨みを買ったためしはこれまでなかったのに。


《今宵なむ初めて 憂しと世を思ひ知りぬれば 恥づかしくて》001
こよひ/なむ/はじめて うし/と/よ/を/おもひ/しり/ぬれ/ば はづかしく/て
今宵初めてつらいものだな、人の世はと重々思い知ったからは、もうみっともなくて、


《ながらふまじうこそ思ひなりぬれなどのたまへば 涙をさへこぼして臥したり》001
ながらふ/まじう/こそ/おもひ/なり/ぬれ/など/のたまへ/ば なみだ/を/さへ/こぼし/て/ふし/たり
生きてはいけない気がしてきたよ」などとおっしゃるので、小君は申し訳ない上に、涙まで流して臥せていた。


《いとらうたしと思す》002
いと/らうたし/と/おぼす
君はその様子をとてもいじらしくお思いになる。


《手さぐりの 細く小さきほど 髪のいと長からざりしけはひのさまかよひたるも 思ひなしにやあはれなり》003
てさぐり/の ほそく/ちひさき/ほど かみ/の/いと/ながから/ざり/し/けはひ/の/さま/かよひ/たる/も おもひなし/に/や/あはれ/なり
手探りで知った、女の華奢で小柄だった具合や髪のさほど長くないさまが、小君の感じと似通っているのも、血のつながりを思うからか、いとしい。


《あながちにかかづらひたどり寄らむも 人悪ろかるべく まめやかにめざましと思し明かしつつ 例のやうにものたまひまつはさず》004
あながち/に/かかづらひ/たどり/よら/む/も ひとわろかる/べく まめやか/に/めざまし/と/おぼし/あかし/つつ れい/の/やう/に/も/のたまひ/まつはさ/ず
無理にごり押しし尋ねあてたところで外聞がわるかろうしと、心底ひどい女だと恨みを抱かれながら夜を明かしになるばかりで、いつものように姉への手引きをご命じになることもなく、


《夜深う出でたまへば この子は いといとほしく さうざうしと思ふ》005
よぶかう/いで/たまへ/ば この/こ/は いと/いとほしく さうざうし/と/おもふ
明け方前、邸を後にされたので、小君はとても責任を感じさみしい思いをする。


《女も 並々ならずかたはらいたしと思ふに 御消息も絶えてなし》006
をむな/も なみなみ/なら/ず/かたはらいたし/と/おもふ/に おほむ-せうそく/も/たエて/なし
女もひとかたならず居たたまれなさにさいなまれてならないのに、君からのお便りは絶えてない。


《思し懲りにけると思ふにも》007
おぼし/こり/に/ける/と/おもふ/に/も
お懲りになってしまわれたようだと思うにつけても、


《やがてつれなくて止みたまひなましかば憂からまし しひていとほしき御振る舞ひの絶えざらむもうたてあるべし》007
やがて/つれなく/て/やみ/たまひ/な/ましか/ば/うから/まし しひて/いとほしき/おほむ-ふるまひ/の/たエ/ざら/む/も/うたて/ある/べし
このままつれなく縁をお切りになってしまわれてはさぞつらかろう、が、申し訳ないながらもお受けできないご無理な振る舞いが絶えずつづくのも嘆かわしいことであろう、


《よきほどに かくて閉ぢめてむと思ふものから ただならず ながめがちなり》007
よき/ほど/に かくて/とぢめ/て/む/と/おもふ/ものから ただならず ながめがち/なり
今をよい潮時にして、このまま幕引きにしてしまおうと思うものの、いつになく物思いにふけりがちである。


《君は心づきなしと思しながら かくてはえ止むまじう御心にかかり 人悪ろく思ほしわびて》008
きみ/は/こころづきなし/と/おぼし/ながら かくて/は/え/やむ/まじう/みこころ/に/かかり ひとわろく/おもほし/わび/て
君はいけ好かぬ女だと思われながらも、このままでは諦め得ようがないと深く御心にかかり、みっともないほど思い悩んだ上、


《小君に いとつらうもうれたうもおぼゆるに しひて思ひ返せど 心にしも従はず苦しきを》008
こぎみ/に いと/つらう/も/うれたう/も/おぼゆる/に しひて/おもひかへせ/ど こころ/に/しも/したがは/ず/くるしき/を
小君に、「まったくむごくも忌々しくも思われるゆえ、無理に思いを断とうとすれど、思うにまかせず苦しくて、


《さりぬべきをり見て 対面すべくたばかれとのたまひわたれば》008
さりぬべき/をり/み/て たいめん/す/べく/たばかれ/と/のたまひ/わたれ/ば
適当なおりをみて、対面できるようはからっとくれ」と、たびたびご命じになられるものだから、


《わづらはしけれど かかる方にても のたまひまつはすは うれしうおぼえけり》008
わづらはしけれ/ど かかる/かた/にて/も のたまひ/まつはす/は うれしう/おぼエ/けり
難儀なことではあるが、このような恋の手引き役でさえ、ご用勤めにお側にはべらせになることを、小君はうれしく思えのるだった。


《幼き心地に いかならむ折と待ちわたるに》009
をさなき/ここち/に いか/なら/む/をり/と/まち/わたる/に
子供心にも、どんな機会にお連れしようかと待ちつづけているうちに、


《紀伊守国に下りなどして 女どちのどやかなる夕闇の道たどたどしげなる紛れに わが車にて率てたてまつる》009
きのかみ/くに/に/くだり/など/し/て をむなどち/のどやか/なる/ゆふやみ/の/みち/たどたどしげ/なる/まぎれ/に わが/くるま/にて/ゐ/て/たてまつる
紀伊守が任国に下るというようなことがあって、女たちだけでのんびりくつろいでいる夕暮れの「手探りで進む」と詠まれた歌のように小暗い闇に紛れて、小君は自分の車で光を邸へお連れする。


《この子も幼きを いかならむと思せど さのみもえ思しのどむまじければ さりげなき姿にて 門など鎖さぬ先にと 急ぎおはす》010
この/こ/も/をさなき/を いか/なら/む/と/おぼせ/ど さ/のみ/も/え/おぼし/のどむ/まじけれ/ば さりげなき/すがた/にて かど/など/ささ/ぬ/さき/に/と いそぎ/おはす
この子も幼いからどうなることだろうと君は心配されるが、そんなふうに案じてばかりで引き伸ばせてもおられず、外出には向かない普段着のまま、門が締まる前に着こうと急いでお越しになる。


《人見ぬ方より引き入れて 降ろしたてまつる》011
ひと/み/ぬ/かた/より/ひきいれ/て おろし/たてまつる
人目に立たぬ場所から車を引き入れて、君を下ろし申し上げる。


《童なれば 宿直人などもことに見入れ追従せず 心やすし》012
わらは/なれ/ば とのゐびと/など/も/こと/に/みいれ/ついせう/せ/ず こころ/やすし
相手がこの家の子供なので、宿直人なども特に気に留めたり、付いて来たりせず、見つかる心配がない。


《東の妻戸に 立てたてまつりて 我は南の隅の間より 格子叩きののしりて入りぬ》013
ひむがし/の/つまど/に たて/たてまつり/て われ/は/みなみ/の/すみ/の/ま/より かうし/たたき/ののしり/て/いり/ぬ
建物の東に面した妻戸に君をお立て申し上げて、自分は南の隅の柱の間から、格子を叩き、大きな声を出しながら中に入って行った。


《御達 あらはなりと言ふなり》014
ごたち あらは/なり/と/いふ/なり
女房たちが「丸見えよ」と言う声がする。


《なぞ かう暑きに この格子は下ろされたると問へば》015
なぞ かう/あつき/に この/かうし/は/おろさ/れ/たる/と/とへ/ば
「どうしてこんなに暑いのに、この格子はおろしておかれたのです」と問えば、


《昼より西の御方の渡らせたまひて 碁打たせたまふと言ふ》015
ひる/より/にし-の-おほむ-かた/の/わたら/せ/たまひ/て ご/うた/せ/たまふ/と/いふ
「昼から西の対のお方がお越しになって、碁を打っておられるのです」と言う。


《さて向かひゐたらむを見ばやと思ひて やをら歩み出でて 簾のはさまに入りたまひぬ》016
さて/むかひ/ゐ/たら/む/を/み/ばや/と/おもひ/て やをら/あゆみ/いで/て すだれ/の/はさま/に/いり/たまひ/ぬ
そんなふうに二人で碁盤を挟んで向かい合っている姿を見たいと思い、そっと妻戸の前から簀子に出て、格子の内外に垂れる二重簾の間にお入りになった。


《この入りつる格子はまだ鎖さねば 隙見ゆるに 寄りて西ざまに見通したまへば》017
この/いり/つる/かうし/は/まだ/ささ/ね/ば ひま/みゆる/に より/て/にし-ざま/に/みとほし/たまへ/ば
小君が入っていったこの格子はまだ閉ざされていないので、内側の簾の隙間越しに中が見えるまで近寄って、西向きにごらんになると、


《この際に立てたる屏風 端の方おし畳まれたるに 紛るべき几帳なども 暑ければにや うち掛けていとよく見入れらる》017
この/きは/に/たて/たる/びやうぶ はし/の/かた/おし-たたま/れ/たる/に まぎる/べき/きちやう/など/も あつけれ/ば/に/や うち-かけ/て/いと/よく/みいれ/らる
格子の側に立ててある屏風の端がたたまれている上、視界をふさぐ几帳なんかも暑さのせいか、帷子がまくり上げてあるので、とてもよく見通される。


《火近う灯したり》018
ひ/ちかう/ともし/たり
二人の近くに灯が点してある。


《母屋の中柱に側める人やわが心かくると まづ目とどめたまへば 濃き綾の単衣襲なめり》019
もや/の/なか-ばしら/に/そばめ/る/ひと/や/わが/こころ/かくる/と まづ/め/とどめ/たまへ/ば こき/あや/の/ひとへ-がさね/な/めり
母屋の中柱のあたりで横向きの姿勢の人が自分が心を寄せる人だろうかと、先ず目をお留めになると、下着は濃い紫の綾織りの単衣襲だろうか、


《何にかあらむ上に着て 頭つき細やかに小さき人の ものげなき姿ぞしたる》020
なに/に/か/あら/む/うへ/に/き/て かしらつき/ほそやか/に/ちひさき/ひと/の ものげなき/すがた/ぞ/し/たる
何かをその上に着て、頭の形もほっそりとした小柄な人が特に目立つ特徴もない姿で座っており、


《顔などは 差し向かひたらむ人などにも わざと見ゆまじうもてなしたり》021
かほ/など/は さしむかひ/たら/む/ひと/など/に/も わざと/みゆ/まじう/もてなし/たり
その顔などは、差し向かいにいる人などにもわざと見られないように心がけている。


《手つき痩せ痩せにて いたうひき隠しためり》022
てつき/やせやせ/にて いたう/ひき-かくし/た/めり
手の具合は痩せに痩せ、石を置くにも袖から出ぬようひどく気にしている様子である。


《いま一人は 東向きにて 残るところなく見ゆ》023
いま/ひとり/は ひむがし-むき/にて のこる/ところ/なく/みゆ
もう一人は東向きに座っていて、残りなくすべてが見える。


《白き羅の単衣襲 二藍の小袿だつもの ないがしろに着なして 紅の腰ひき結へる際まで胸あらはに ばうぞくなるもてなしなり》023
しろき/うすもの/の/ひとへ-がさね ふたあゐ/の/こうちきだつ/もの ないがしろ/に/き/なし/て くれなゐ/の/こし/ひきゆへ/る/きは/まで/むね/あらは/に ばうぞく/なる/もてなし/なり
白い薄物の単衣襲で、ふた藍の小袿らしきものを無造作に着なして、紅色の腰紐を結んだあたりまで胸をあらわにした、だらしのないなりである。


《いと白うをかしげに つぶつぶと肥えて そぞろかなる人の 頭つき額つきものあざやかに まみ口つき いと愛敬づき はなやかなる容貌なり》024
いと/しろう/をかしげ/に つぶつぶ/と/こエ/て そぞろか/なる/ひと/の かしらつき/ひたひつき/もの-あざやか/に まみ/くちつき いと/あいぎやうづき はなやか/なる/かたち/なり
たいそう白く魅力的にふくよかに肥えて大柄な人で、頭や額の形も形よく、眼差しや口つきがとても可愛げが、あでやかな顔立てである。


《髪はいとふさやかにて 長くはあらねど 下り端肩のほどきよげに すべていとねぢけたるところなく をかしげなる人と見えたり》025
かみ/は/いと/ふさやか/に/て ながく/は/あら/ね/ど さがりば/かた/の/ほど/きよげ/に すべて/いと/ねぢけ/たる/ところ/なく をかしげ/なる/ひと/と/みエ/たり
髪はとてもふさふさしていて、長くはないが、こめかみ横の髪の垂れ具合や髪の毛の肩へのひろがり具合が、どこも乱れた感じがなくきれいに梳かれた、魅力的な髪の持ち主である。


《むべこそ親の世になくは思ふらめと をかしく見たまふ》026
むべ/こそ/おや/の/よ/に/なく/は/おもふ/らめ/と をかしく/み/たまふ
無理もないな、親が世になく慈しんでいるのも、と興味をもって御覧になる。


《心地ぞなほ静かなる気を添へばやと ふと見ゆる》027
ここち/ぞ/なほ/しづか/なる/け/を/そへ/ばや/と ふと/みゆる
気持ちの面にはもう少し落ち着いた感じを加えたいなと、ふとお考えになる。


《かどなきにはあるまじ》028
かど/なき/に/は/ある/まじ
才気はないわけではなさそうで、


《碁打ち果てて 結さすわたり 心とげに見えて きはぎはとさうどけば 奥の人はいと静かにのどめて》029
ご/うち/はて/て けち/さす/わたり こころとげ/に/みエ/て きはぎは/と/さうどけ/ば おく/の/ひと/は/いと/しづか/に/のどめ/て
碁を打ち終わって、駄目をつめる際には、気ぜわしいらしく、はやく白黒をつけると矢継ぎ早に大声で数えたてるので、奥の人はたいそうおだやかに制止して、


《待ちたまへや そこは持にこそあらめ このわたりの劫をこそなど言へど》029
まち/たまへ/や そこ/は/ぢ/に/こそ/あら/め この/わたり/の/こふ/を/こそ など/いへ/ど
「待ちたまえや、そこはセキではないかしら。このあたりの劫を先にしては」などと言うと、


《いで このたびは負けにけり 隅のところ いでいでと指をかがめて 十 二十 三十 四十などかぞふるさま 伊予の湯桁もたどたどしかるまじう見ゆ》030
いで このたび/は/まけ/に/けり すみ/の/ところ いで/いで/と/および/を/かがめ/て とを はたち みそ よそ/など/かぞふる/さま いよ/の/ゆげた/も/たどたどしかる/まじう/みゆ
「いえ、今回は私の負けだわ。隅のところの目はどうかしら、さあさあ」と指を折って、「十、二十、三十、四十」など数える様子、あの数の多い伊予の湯桁もすらすら数えられそうな勢いである。


《すこし品おくれたり》031
すこし/しな/おくれ/たり
すこし品位が落ちる。


《たとしへなく口おほひて さやかにも見せねど 目をしつけたまへれば おのづから側目も見ゆ》032
たとしへなく/くち/おほひ/て さやか/に/も/みせ/ね/ど め/を/し/つけ/たまへ/れ/ば おのづから/そばめ/も/みゆ
片やこれと異なり、袖で口をおおいはっきりと顔を見せないが、目をじっとこらしてご覧になると、しぜんと横顔が見られる。


《目すこし腫れたる心地して 鼻などもあざやかなるところなうねびれて にほはしきところも見えず》033
め/すこし/はれ/たる/ここち/し/て はな/など/も/あざやか/なる/ところ/なう/ねびれ/て にほはしき/ところ/も/みエ/ず
目がすこし腫れた感じがして、鼻筋などもすっと通ったところがなくくたびれて、匂い立つ美しさも見られない。


《言ひ立つれば 悪ろきによれる容貌をいといたうもてつけて このまされる人よりは心あらむと 目とどめつべきさましたり》034
いひたつれ/ば わろき/に/よれ/る/かたち/を/いと/いたう/もてつけ/て この/まされ/る/ひと/より/は/こころ/あら/む/と め/とどめ/つ/べき/さま/し/たり
断ずれば、良くない方に入る容貌だが、とてもよく繕って、一方の器量にすぐれる人よりはたしなみ深かろうと、誰しも目をとめずにおかぬ様子をしている。


《にぎははしう愛敬づきをかしげなるを いよいよほこりかにうちとけて 笑ひなどそぼるれば》035
にぎははしう/あいぎやうづき/をかしげ/なる/を いよいよ/ほこりか/に/うちとけ/て わらひ/など/そぼるれ/ば
片や陽気で人好きのする美形であるが、ますます得意げに心から笑いはしゃぐので、


《にほひ多く見えて さる方にいとをかしき人ざまなり》035
にほひ/おほく/みエ/て さる/かた/に/いと/をかしき/ひとざま/なり
匂いやかな美しさがあふれんばかりに感じられ、その面ではとても魅力ある部類に属す。


《あはつけしとは思しながら まめならぬ御心は これもえ思し放つまじかりけり》036
あはつけし/と/は/おぼし/ながら まめ/なら/ぬ/みこころ/は これ/も/え/おぼし/はなつ/まじかり/けり
はすはな女だとお感じになりながら、誠実さを欠く今の御心では、こちらも見過ごしになれそうにはないのだった。

2020-06-0203空蝉

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